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札幌市における高等専門学校成立前史

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 札幌市立高等専門学校設立の前史として、道への国立芸術大学誘致の運動がある。昭和四十三年六月開催の北海道文化団体協議会総会において「東京以北には芸術大学(4年制・男女共学)がなく、芸術文化の振興上まことに不利不便な状況にあるので、北海道百年を契機として札幌に芸術大学を設立し、音楽・美術・文芸の3学部をもつ総合芸術の学園として、幅広い芸術文化の探求と発展を目ざしたい」という提案がなされた。四十四年一月には同協議会が道議会などに対し芸大設置を含む芸術振興を陳情し(昭48年3月、道議会で採択)、四十七年十月には道教委の諮問機関である北海道文化振興審議会が芸術専科大学の設置を答申した。道は五十二年七月、「北海道発展計画」に、国立釧路医科大学・国立函館複合大学とともに、国立芸術大学新設を位置づけた。
 市においても、五十一年十一月に策定した「新札幌市長期総合計画」のなかで芸術大学の設置促進を位置づけていた。五十三年度第三回定例市議会において質問をうけた板垣武四市長は「道が進めている国立芸術大学の誘致運動に全面的に協力して、何をおいても本市に誘致したいと考えている」と答弁し、公的に札幌への大学誘致を表明した。五十五年三月策定の「新札幌市長期総合計画第二次五年計画」には重点事項として「国立大学の設置を積極的に働きかける」と明記された。同年五月に道が市に芸術大学を設置することを決定し、同年六月には国立札幌芸術大学誘致期成会が、市企画調整局を事務局として設立された。
 当時の国立芸術大学構想では、大学の構成は二学部五学科が予定されていた。環境芸術学部には、都市環境・居住環境を研究分野とする環境芸術学科と木質・ガラス・服飾造形や印刷・写真・映像造形などを研究分野とする産業芸術学科を設置する予定であった。また芸術学部には、美術、音楽、舞台表現の三学科を設置する計画であった。