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占領下の幼児教育

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 戦前札幌市には九つの幼稚園があったが、全て私立であり、ほとんどが宗教系であった。昭和二十年五月に「戦時託児所設置基準」が公布された。これは幼稚園を戦時託児所に切り替えることを示したものであった。多くの成人男子が国内産業従事から兵隊に参加したのに伴い、これに代わって多くの女子が国内産業に従事するために、家庭の女性も産業に従事し、半日保育の幼稚園は役に立たなくなったのである。戦後、二十年十一月から札幌大谷幼稚園が再開したが、幼稚園そのものの性格が規定されたのは、二十二年四月施行の学校教育法である。同法において幼稚園は他の学校と肩を並べる教育機関として位置づけられた。同年段階で市では既設の幼稚園七園が再開され、二十六年までに既設の二園も再建され九園となり、園児数は一三〇八人となった。