ビューア該当ページ

仲よし子ども館の閉鎖

830 ~ 831 / 1053ページ
 昭和三十五年に誕生した仲よし子ども館は、幼児教育の「定着」の中で、その役割を変化させていくことになった。四十年代までは、幼児教育の受け皿として年々活動が活発化していく。そのため、入館希望者数が受け入れ可能数を突破し、館によっては全員を収容することができないところもでてきた。例えば、四十八年度には三歳児の約五〇〇人を抽選にしている(道新 49・2・14)。そのため、市では、幼児問題審議会で検討を行い、審議会は五十一年十一月に答申をだした。仲よし子ども館の目的を「法的根拠や制約のない市独自の制度であり」、「一般の家庭だけでできない『集団の場』を母と子に提供し、家庭教育のお手伝い役(補完機能)を果たす」こととしている。問題となっている人数増加については、「将来、三歳児を重点にすべきだが、幼稚園や保育所の整備が一挙に解決せず、四、五歳児の『受け皿』が完全でない現状では経過措置もやむを得ない」とし、経費について保護者への教育については「その経費の一部として…ある程度の負担をすることについて考慮する必要がある。」としている(道新 昭51・11・19)。これをうけて市では検討を重ね、三歳児の入園希望を受け入れるために収容人数を増やしたが、五十五年になっても二五九人が受け入れられない事態となった(道新 昭55・5・2)。市では三歳児収容のために五歳児の入園を制限する案を策定し、『広報さっぽろ』三月号に、「56年度から5歳児は対象からはずれる」との記事を掲載した。これに対し母親たちからの反対が強く、市議会への陳情もだされた。陳情は総務委員会において全会一致で採択された。市では五十八年度まで四、五歳児の保育を存続する結論をだした(十五期小史)。

写真-10 仲よし子ども館で遊ぶ子どもたち

 しかし五十年代後半から六十年代にかけては、幼稚園就園の低年齢化によって、実質的に五歳児は幼稚園や保育所に入園する率が高くなった。そのため市では五十九年度においても「5歳児受け入れを続ける」とし、その後も継続して事業にあたった。
 さらに市は平成七年一月、八年度から六年間にわたる幼稚園教育振興計画を発表した。そこでは入園を希望するすべての三~五歳児を市内の市・私立幼稚園に受け入れることを柱とし、同時期約八〇〇〇人が通う仲良し子ども館については、廃止を示唆している(道新 平7・1・24)。結局、市では八年度をもって仲よし子ども館を廃止することとした。最終年度の場合、前期・後期合わせて一万二五四〇人(うち九六パーセントが三歳児)が九五会場で指導を受けた。「時代の変化でもある少子化の進行、三歳児の幼稚園就園の促進が要因となり、幼児主体から母親主体とする『地域子育て支援事業』へと質的転換をとげた」のである(海保洋子 市史点描 札幌市仲よし子ども館関係資料から 札幌の歴史第44号)。