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体育指導員の活動

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 体育指導委員制度は昭和三十二年に始まり、体育指導委員(以下体指)は「スポーツ振興法」によって非常勤公務員と規定されている。その役割は、当初、実技指導者的役割が期待されていたが、スポーツの大衆化や各種指導資格制度の整備を背景に、地域スポーツ活動のコーディネイター的存在へと移行してきている(体育指導委員連合の歩み―制度発足からの体育指導委員の歴史―)。
 市では、三十七年三月二十九日に「札幌市体育指導委員規則」を定め、その定数を三〇〇名以内、任期を二年(再任可)としている。選出にあたっては、当初、三七指導区を設け、地区選出四〇、学校選出四二、全区選出六という方式を確立したが、急速な人口の増加、また五十二年調査やスポーツ振興審議会答申が地域でのスポーツ振興を重視したことにより、連合町内会を範囲とした地区推薦へと変っていった(昭57年度より)。市人口の拡大にあわせて体指も増員された。その数は、制度発足時には三〇名だったものが、昭和四十八年度で一三三名、平成十四年度には二八一名が任命されている(人口約六〇〇〇名に一人を基準)。
 体指の活動は、四十七年保健体育審議会答申を受け、より、地域での体育・スポーツの企画運営へと移行する。その任務は、以下のとおりとなる。
地域での活動(①体育・スポーツに係わる地域住民の組織化(体育振興会等)とその育成を図る。②各種スポーツ行事の企画、運営と必要に応じ指導と助言を行う。)
各区における活動(①各区役所担当課及び区内の体育指導委員と連携をとりながら区民の体育・スポーツの企画、運営を行う。②資質の向上を図るため、研修会等を企画、実施する。)
全市事業の企画・運営(教育委員会が実施する事業に参画し、体育・スポーツの普及に努める。)

(記念誌二十年)


 とくに注目されるのは、地域住民の組織化(体育振興会の設立)に果たした体指の役割である。五十年代から各地域には、学校開放の自主運営組織として体育振興会づくりが盛んになっていったが、その中心に体指の活躍があった。五十七年には、札幌市体育指導委員会として『札幌市における体育・スポーツ振興組織の活動実態調査報告書』をまとめ、体育振興会づくりの課題と体指の役割の重要性を確認している。こうした地域密着型の活動が展開された意義は大きく、後述する市の学校開放を進める原動力となったことは高く評価されよう。
 体指の研修活動では、五十五年に北海道体育指導委員研修会が、また六十二年に全国体育指導委員研究協議会が札幌市で開かれている。全国協議会では四七都道府県、三三五二名の参加者が「市町村のスポーツ振興と体育指導委員会のかかわりを再考する(シンポジウム)」、「生涯スポーツの振興と体育指導委員の役割(分科会テーマ)」について話し合った。また、札幌市体育指導委員会が発行する機関誌『友穆(ゆうぼく)』も平成十四年までに第九〇号が出され、事業や研修の成果、各委員の交流が継続的になされている。