少年団のタイプには次の二つがある。一つは、あくまで特定のスポーツ競技を通じ子どもたちに多くのスポーツの機会、チャンスを提供し、もって青少年育成を目指すもの、もう一つには、青少年期に多様なスポーツの機会(多種目)と団員相互交流を深め社会性を涵養するものである。発足当初は後者の多種目型が志向されたが、スポーツの広がりにより、全国的にも単一種目型の少年団が盛んになっていった。市少年団も単一種目を中心に組織されていくが、五十一年には真駒内公園駐車場での凧揚げ大会など、種目を越えた交流事業も開催され、少年団間の相互交流も意識的に追求されてきている。初期には小学校教員をはじめとする指導者、ならびにそれらを支える父母の役割も大きかったことも付け加えておかなければならない。
交流事業は、市内に留まらず国内外へと発展してきている。五十四年には「日独スポーツ少年団交流事業」、五十九年には松山市との少年団交流事業が開始された。また、五十九年十月六日には札幌市、瀋陽市、ポートランド市にミュンヘン市も加わり、六十年以降、12~14歳までのジュニアスポーツ交流事業が開催されるようになった(平成二年度よりノボシビルスク市も参加)。
札幌市スポーツ少年団の登録数をみると、四十九年度(六一団体、四二三五名)、五十年度(九〇団体、四一一八名)と拡大していくが、五十一年度に少年団登録が有料化されると、登録団体数は減少する。その後、六十年度には、札幌市サッカー少年団連盟が各種少年大会参加の条件にスポーツ少年団登録を義務づけたことから、サッカー少年団の登録団数が著しく増加し、また六十二年からはミニバスケットボールでも同じ理由から増加が顕著になった。「コンサドーレ札幌」設立の翌年、平成七年には登録者数で一万人を超え、その後は漸減したものの、登録団体そのものは維持し続けている(図10参照)。全市的な少子化傾向からすれば、少年団の組織率は上昇してきている。全市の小学生数に占める少年団員数の割合は、六十年度の二・七パーセントから平成十四年度には八・六パーセント、同様に中学生では〇・七パーセントから一・三パーセントとなっている。
図-10 札幌市スポーツ少年団登録団及び団員数の推移