この時期、いくつものホールが新たに生まれ、公演の規模や動員力によって使い分けが進んでいった。また、ホール以外の身近な場で室内楽を楽しむ機会も恒常的に得られるようになっていった。
五十一年から二年ほど続いた「豊平館コンサート(ほうへいかんコンサート)」がその先導役を担い、札響の佐々木一樹(バイオリン)と戸沢宗雄(ファゴット)、当時札幌在住だった小林道夫(チェンバロ)が中心となって開催された。五十六年から平成元年までの「ふれあいコンサート」(南区真駒内)、昭和五十七年からの西野コンサート(西区)といった地域コンサートや、五十五年からの三岸好太郎美術館、五十六年からの札幌彫刻美術館といった美術館展示室での演奏会も開かれるようになった。市役所一階での市民ロビーコンサートも、五十五年八月から始まった。