この時期になると、戦後の昭和二十年代、三十年代生まれの音楽家がめざましい活躍を見せた。
声楽では、ソプラノの斎藤昌子はNHKテレビの歌のおねえさんとして親しまれ、メゾソプラノの西明美はドイツとイタリアで学んだ後、日本を代表する存在になった。
ピアノの植田克己は五十二年にロン・ティボー・コンクールで第二位となり、母校東京芸術大学での指導と独奏、伴奏に活躍している。
弦楽器ではチェロに奏者がそろった。北本秀樹が四十八年に日本音楽コンクールで第二位、五十四年に民音コンクール室内楽部門で優勝し、東京フィルハーモニー交響楽団の首席奏者となった。NHK交響楽団の平野秀清、東京フィルハーモニー交響楽団首席の金木博幸も活躍している。
管楽器ではフルートがめざましい。工藤重典はパリ音楽院でランパルに師事し、五十三年パリ、五十五年ランパルの各コンクールに優勝して、パリでエコール・ノルマル教授となった。酒井秀明は西ドイツに留学し、五十四年にミュンヘン・コンクールで第三位、五十八年にジュネーブ・コンクールで第二位となって、フィルハーモニア・フンガリカ(西ドイツ)で活躍した。加藤元章はパリ音楽院でランパルにつき、五十七年にマデイラ・コンクールに優勝し、翌年のマリア・カナルス、ランパル両コンクールで第二位となった。時任和夫はフィラデルフィア管弦楽団ピッコロ奏者として活躍している。オーボエの蛎崎(かきざき)耕三は六十二年の日本管打楽器コンクールに優勝し、読売日本交響楽団首席奏者を務めている。