それまで演劇公演可能な札幌の劇場といえば、市民会館、自治会館(昭33オープン、以下年のみ)、道新ホール(昭38)、共済ホール(昭41)などで、わずかな自主企画がある市民会館以外は貸館専門である。それが昭和五十一年から、こぐま座、五十二年に4プラホール、文芸センター、五十三年にめるへん館、五十六年には第一次駅裏8号倉庫と隣町・江別のどもなど、やつぎばやに小劇場空間が生まれた。しかもそのすべてが貸館ではなく、独自の企画を持つ芝居小屋だということも重要な特徴といえよう。
すでに東京の小劇場活動の影響も受け、風車、城、創造劇場、自由劇場などによる変動の波は始まっていたが、四十五年のさっぼろ、新劇場を中心とした「七〇年演劇行動」の小公演や、四十九年、河(旭川)の喫茶劇場・河原館オープンなどが相互に刺激し合い、新しい創造空間で活発な小劇場活動が展開されるようになった。
全国で初めての公立人形劇場こぐま座では、札幌人形劇協議会(札人協)加盟劇団の多くの人形劇公演が土・日曜毎に催され、4プラホールでは「自由市場小劇場」、文芸センターでは統一座や北海道合唱団の公演、めるへん館にはめるへんぐるーぷが生まれ連続上演、駅裏8号倉庫では一カ月にわたるオープニングイベントを筆頭に、その空間を発見した53荘やお芝居集団75などが活躍した。また、ども(小劇場)にも安念智康らによるドラマシアターどもが誕生するなど、それぞれの劇空間を生かす芝居が創造された。