ファン主導のイベントが成功を収める一方、封切館にも久々の活況が訪れていた。五十七年末から五十八年、ハリウッド映画『E.T.』が記録破りのヒットとなり、「映画復調」を印象づけた。札幌劇場とSY遊楽で公開された『E.T.』は、市内二三万人を超える観客を動員、人口あたり動員率は一五・八四パーセント(札幌と映画 さっぽろ文庫49)にのぼった。その五十八年は、帝国座とニコー劇場で上映された『南極物語』も市内総観客数一四万人超を記録、さらにカンヌ国際映画祭で今村昌平監督の『楢山節考』がグランプリ受賞という吉報も重なり、日本の映画界が活気に包まれた年でもあった。
五十七年、中央区南八条西四丁目の大京ビル地下に、ミニシアター・ジャブ70ホールがオープンした。須貝興行に勤めていた木村純一、佐藤哲男、黒田信一の三人による共同経営であり、その経緯を記した『JABB中毒・秘造り地獄編』(のち『突撃! グフフフ映画団』と改題、講談社文庫に収録)は道内外から注目された一冊である。札幌初のレイトショーシアター、また貸し館大会など独自の企画を前面に出したジャブは、六十一年には隣にジャブ・パート2もオープン、女性一人でも入りやすい明るい内装に加え、同年夏公開のアート系映画『蜘蛛女のキス』『ホテル・ニューハンプシャー』がヒットし、全国的なミニシアター・ブームの波に乗るかたちとなった。