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道指定文化財―琴似屯田兵屋・旧永山武四郎邸

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 北海道文化財では、琴似屯田兵屋が初の指定であった。この兵屋は兵屋番号一四〇番(西区琴似一―七)、佐藤喜一郎が住居したものである。琴似は道内初の屯田兵村であり、屯田兵屋は明治七年(一八七四)十一月の建設であったから道内最古の兵屋となる。道・市では琴似屯田保存会からの保存要請を受けて、琴似神社境内へ昭和三十九年一月二十七日に移転し、同年十月三日に指定をしていた。移転後、建設時への復元がなされ、保存会による展示資料の収集も行われ、四十年一月に公開されるようになった。

写真-12 史跡指定となった琴似屯田兵屋

 旧永山武四郎邸は初代屯田司令部長官、第二代道庁長官の永山武四郎の私邸であり、明治十一年に建築されていた。同邸は三菱合資会社が明治四十四年八月に買収し、昭和十二年頃には北側部分が解体されてクラブ(新棟)が建築され、同邸は貴賓室として使用されていた。その後は、三菱鉱業セメントが宿泊施設として使用していたが、市と道住宅供給公社は同邸周辺再開発事業をたて、同邸を公園とし再開発地の中心施設とする計画としていた。市では六十年から同邸の調査を行い、その結果、住宅史の上でも貴重な遺構であることが判明した。六十年九月に建物・土地の譲渡を得て、市は道文化財の申請をし、六十二年十一月二十七日に指定となった。同邸は木造平屋建て一三六平方メートルで洋間の応接室、和室三間などの和洋折衷様式である。六十三年から市によって修復工事が行われ、新棟部分は資料展示室に利用され、周辺も永山記念公園として整備されて、平成元年十一月三日より一般公開となった。