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「都市開教」

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 市内へ転入、「進出」した寺院の多くが、旧炭鉱地域と農村部の過疎地域の寺院であった。札幌市内へ転住した壇信徒を追ってのもの、あるいは壇信徒の減少により経営上の展開をめざしたことなどが理由であり、これらは札幌が人口集積する都市状況と道内各地での過疎状況が交叉した現象といえる。しかも注目すべきことは、札幌への開設が「都市開教」とみなされていたことである。
 真宗大谷派では昭和五十七年に各教区に、「教線拡張、新寺建設を推進することを目的とし、同朋教団の確立と繁栄を願い」、都市開教対策委員会の設置を計画し、同委員会の役割を以下のようにとらえていた(北海真宗 第36巻第9号 昭57)。
  一、過疎寺院の救済対策。
  二、過密地方都市の開教に対する調査。
  三、開教地域の配置と指導。
  四、都市開教を志す有教師の育成。
  五、都市開教に対する援助体勢の確立。

 これを受けて北海道教区でも五十八年七月二十九日に、「都市開教に関する諸問題を調査研究、審議する」都市開教対策特別委員会を設置していた(同 第37巻第9号 昭58)。一方、「都市開教」は寺院建設だけではなく教化活動も含むべきだとの考えもあり、霜田千代麿「都市開教(教化)に関する一つの視点」は、実行委員会を設置し「一般市民に開かれた仏教後援会や映画、音楽、演劇などの催し」による教化活動を提案していた(同 第44巻第5号 平2)。
 「都市開教」は、過疎地域の寺院対策とも関係をもっていた。同じく大谷派の北海道教区では、平成十年に過疎地問題専門委員会を設置し、委員会によって各寺院へ「過疎化(門徒減少)に関するアンケート調査」が実施され、「集計結果」が『北海真宗』第55巻第2号(平11)に掲載されている(回答率三八パーセント)。大谷派は道内を地域別に二一組(そ)に分けているが、それによると最も増加したとされているのは、札幌市および石狩支庁管内の第四組であった(次は旭川市および上川郡内の第一六組)。増加の理由は「葬式がきっかけで」が約五割、「地方からの転入」が約四割となっている。減少した門徒の移動先として札幌市とするものが多く、多い順にあげると稚内支庁管内の第一四組が一番で、以下渡島半島西部域の第二組、北見・網走市と周辺域の第一九組、そして第十六組となっている。
 浄土真宗本願寺派の北海道教区でも、壇信徒の増減と移動に関するアンケート調査を行っており、その結果が「門信徒移動に関する伝道教化調査結果報告」として発表されている(北海道教区時報 第一九六号 平16)。本願寺派は道内を一六組に分け、札幌組は札幌市および石狩支庁管内であり四五寺が所属している(平成十一年現在、札幌組の回収率は三六パーセント)。アンケートは八項の調査項目よりなり、門徒数の減少・増加の項で「増加傾向」としたのは札幌組が最も多く、組中の五五パーセントに及んでいる(次が北見東組の四〇パーセント、十勝組の三八パーセント)。道内の大部分の組では門徒数が減少しており、その行き先を札幌としているのは、南空知・後志・留萌組が七〇パーセントを超え、胆振・上川南組を除くすべての組が四〇パーセント以上としている(図1)。門徒戸数の増加理由を札幌組では、「葬儀などを機縁にして」が約四七パーセント、「離郷門徒」を他寺院からの依頼が約三八パーセントとなっている。だいたい大谷派と似た数値であり、過疎地域の減少した門徒を移動先である札幌の寺院が吸収している構図が、これらのアンケート結果からよくみてとれるし、葬儀を出して初めて寺院との檀家関係が生じる、都市部の状況もうかがうことができる。都市部の壇信徒形成は、以上のようにしてなされていたのである。

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図-1 門徒の札幌移転を示すアンケート結果(『北海道教区時報』第196号 平16)