一九七〇年代の紛争は、日本基督教団の教勢(教会員数、日曜礼拝出席者数、受洗者数など)やキリスト教主義学校の活動に影響を与えた。とくに同教団の場合、一九六〇年代後半(昭和四十~)から見られた教勢の停滞は、一九七〇年代前半(昭和四十五~)に拍車をかけたといわれる。一方、六〇年代後半から七〇年代にかけて、紛争がもたらした〝問題提起〟と社会の変動を受けて、キリスト教界の社会的関与が高まり、発言の領域を広げた。またこの時期にはキリスト教界が挙げて取り組んだものに、靖国神社国営化問題があった。これは昭和四十四年から四十九年の間、五度にわたり国会に提出された靖国神社法案の成立阻止活動に端を発している。翌五十年以降は、靖国神社問題の延長上に起こった歴代首相の靖国神社参拝問題、元号法制化問題、昭和天皇在位六〇年記念式典問題、さらには六十四年(一九八九)の昭和天皇死去と現天皇の即位礼・大嘗祭(だいじょうさい)問題、戦後五〇年問題に取り組んだ。これら一連の信教の自由、政教分離、戦争責任、天皇制批判の発言、行動は、宣教活動として位置づけられ、平和、人権、社会問題への取り組みがキリスト教界に広がった。