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靖国問題をめぐって

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 多くのキリスト教会が社会問題に目を向ける契機となったのは、札幌でも昭和四十三年(一九六八)頃から広がった靖国神社の国家護持(国家管理)に反対する運動であった。同年十二月には、キリスト教界から全道労協、北教組、高教組などに働きかけ靖国神社国営化阻止道民連絡会議が結成され、四十六年二月には、これら全道規模の四七団体が共同して法案反対の声明を出した。
 四十四年に最初の靖国神社法案が国会に提出されると、プロテスタント諸教会・団体で構成されている札幌キリスト教連合会信教の自由を守る委員会は法案阻止をめざして、五月十八日から大通公園に面した北光教会前で八日間のハンスト、座り込み、街頭宣伝、ビラまき、署名運動に取り組んだ。北光教会の外壁には、「宗教を戦争に利用する 靖国神社国営化反対」の垂幕が掲げられた。以後、法案が出るたびに法案阻止月間が組まれた。二月十一日の「建国記念の日」を批判して始められた紀元節復活反対の集会は、信教の自由を守り、軍国主義復活阻止、靖国神社国営化阻止を確認する集会となり、集会後のデモで札幌市民に問題の所在をアピールする機会となった。

写真-5 札幌キリスト教連合会などによる靖国法案反対運動(昭44.5)

 四十九年に靖国法案が五度めの廃案となった後、靖国神社問題は首相の参拝問題に移った。日本基督教団、日本基督教会の教区、中会は東西両本願寺などとともに道内の宗教団体に呼びかけて五十七年一月、「靖国神社公式参拝問題に関する要望書」を鈴木善幸首相に提出した。これには、キリスト教、仏教、教派神道など諸教団の道内地方組織二八団体の代表者が名を連ねた。この要望書を契機に、同年五月、キリスト教界と仏教界とが北海道宗教者懇談会を開催し、以来、信教の自由、政教分離原則問題について宗派を超えた交流が継続した。また、六十一年は、日中全面戦争の発端となった昭和十二年(一九三七)の廬溝橋事件から五〇年後にあたっており、事件勃発の日にちなんで七・七平和集会を開催した。これは前年六十年に中曽根康弘首相が行った〝公式〟参拝に抗議し、アジアの平和を願い、日本の軍拡路線に反対する意図から、キリスト教界が札幌の市民団体に呼びかけて共催したものである。
 こうした靖国問題、天皇制問題への継続した取り組みが、六十四年以来の昭和天皇葬儀と現天皇即位行事の問題性を批判する運動へと展開した。平成二年(一九九〇)十一月の即位礼当日にはキリスト教界からの呼びかけで、「大嘗祭に反対する一一・一二北海道集会」を共済ホールで開催した。この集会は、昭和天皇の戦争責任追及と大嘗祭が国民主権と政教分離原則に反するとの主張の下に六五団体が共催したもので、集会には一〇〇〇人が参加しデモを行った。