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諸教団の教会

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 金光教(本部岡山県金光町)は札幌にて明治三十一年以来の開教史をもち、表8にあるように六教会が所在している。そのうち、札幌教会(南八西三)は教会の建物を昭和六十年四月に新築し、七月十四日に教会落成奉告祝祭が行われていた。札幌東教会は(豊平区豊平三―四)は四十六年三月十三日に東札幌教会、札幌大通教会(大通西一五)は六十一年七月三日に西札幌教会より改称し、札幌北教会(東区北一一東一〇)も五十八年十月三十日に移転し北八条教会より改称していた。他に札幌南教会(南一二西八)、藻岩教会(南一六西一六)があり、西札幌教会は五十六年十月十八日に創立五〇年祭、札幌北教会は六十年五月二十六日に布教五〇年祭が執行されていた。また、平成三年に『金光教北海道布教百年史』(平3)が刊行され、各教会の沿革も詳しく記述されている。
 御嶽(おんたけ)教(本部奈良市)も札幌では、明治三十二年の開教であった。昭和四十、五十年代は六教会と教勢を増していた。しかし、六十年代に入り天尊、八条教会が解散となり、現在は①札幌教会(東区北七東一四)、②国光(豊平区旭町三)、③喜徳(南区定山渓温泉西町一)、④南郷(白石区南郷通)の四教会となっているも、②③は休会中である。
 神習(しんしゅう)教(本部東京都世田谷区)は、昭和四年に札幌支教会の創設が最初であり、戦後も白石支教会(白石区菊水五―一、昭28・7・2 宗教法人認証)のみであったが、五十年代に入り大聖大教会(北区新琴似、昭56・6・1)、支教会では栄寿(北四西一四、昭53・1・25)、美和(白石区南郷通一四、昭54・8・28)、福住(清田区真栄、昭63・7・1)が設立され五教会に増加していた。福住支教会も五十七年八月二十五日に、鎮護(焚上(たきあげ))所として設置されていた。
 石鎚(いしづち)本教(愛媛県西条市)は戦後、三教会が維持されていたが、崇敬教会が解散し現在は敬神(東区東雁来九―一)、神道豊士(東区雁来)の二教会となっている。前者は愛媛県の山岳霊場、石鎚山への信仰をもつ吉山袈裟雄(けさお)によって昭和十五年に石鎚神社敬神教会講社として南一条東二丁目に開設されていた。二十八年十二月二十八日に法人化して現名称となり、吉山袈裟雄が四十一年六月に死去した後は、吉山サダが会長を引き継ぎ、平成九年五月二十日に現在地へ移転している。
 豊受(とようけ)教札幌支教会(南区北ノ沢九、本部小樽市)は、北一七条西一丁目に昭和二十九年九月六日に設立され(法人化は二十八年十一月七日)、平成八年九月六日に現在地へ移転している。黒住教(岡山市)の札幌教会所(南二東四、昭28・4・1)は四十九年十一月に新築し、五十五年に開教七〇年を記念して『黒住教札幌教会所七拾年史』を発行している。神道天行居(しんどうてんこうきょ)(本部山口県田布施町)の日新教会(白石区平和通六)は、昭和二十一年に新得町にて山神安置所として創置され、二十五年に同教会となったが、三十年に札幌の現在地へ移転し、三十一年一月十三日に法人化している。この他にも現在、神道大和教(旭川市)の札幌扶桑教会(南三西二四、昭29・5・11)などがある一方で、神道大教はかって三山崇敬札幌小教会、布袋神社、札幌八幡神社の三所があったが、札幌八幡神社は五十二年八月二十二日に北広島市輪厚へ移転し前二所も解散となり、札幌からは姿を消している。