1
|
慶應4年・明治1年(戊辰)1月21日
|
1868/1/21
|
◎新政府,毎月1と6の日を定休日と定める.官公所,漸次これにならう.
|
|
【出典資料番号】:
301
|
2
|
慶應4年・明治1年(戊辰)3月
|
1868/3
|
◎新政府,西洋医学の採用を宣言.
|
|
【出典資料番号】:
304 305
|
3
|
慶應4年・明治1年(戊辰)5月
|
1868/5
|
◎箱館府,旧箱館医学所を民政方病院と改称.
|
|
【出典資料番号】:
311
|
4
|
慶應4年・明治1年(戊辰)9月
|
1868/9
|
◎この夏,天然痘が流行.箱館府,民政方病院の要請により種痘をなすべき触書を出す.
|
|
【出典資料番号】:
336
|
5
|
慶應4年・明治1年(戊辰)10月
|
1868/10
|
◎箱館戦争開始,幕府方医師高松凌雲,敵味方の区別なく戦傷者救助に尽くす.
|
|
【出典資料番号】:
337
|
6
|
慶應4年・明治1年(戊辰)12月
|
1868/12
|
◎新政府,医師免許制度確立の方針を出す.産婆の売薬斡旋・堕胎を禁止.
|
|
【出典資料番号】:
339
|
7
|
明治2年(己巳)2月
|
1869/2
|
◎開拓使,アイヌ民族及び一般移民の「鰥寡(かんか)孤独者奇特者」を漏らさず救済に関して,布達.
|
第2巻p595
|
【出典資料番号】:
315
|
8
|
明治2年(己巳)8月28日
|
1869/8/28
|
◎開拓使,開拓3等医師に斉藤龍安を任命.
|
|
【出典資料番号】:
353 373
|
9
|
明治2年(己巳)8月
|
1869/8
|
◎箱館府民政方病院を函館病院と改称.
|
|
【出典資料番号】:
311
|
10
|
明治2年(己巳)9月1日
|
1869/9/1
|
◎開拓使,開拓2等医師に平帰一を任命.
|
第2巻p583
|
【出典資料番号】:
353 373
|
11
|
明治2年(己巳)9月
|
1869/9
|
◎開拓使,医事・病院医員などの選択を大学東校(西洋医学所)に委任.
|
第2巻p583
|
【出典資料番号】:
386
|
12
|
明治2年(己巳)10月20日
|
1869/10/20
|
斉藤・平両医官,開拓使仮役所銭函仮病院に赴任(島義勇判官に随行).この後補助医院長谷川欽哉着任.
|
|
【出典資料番号】:
353 373
|
13
|
明治2年(己巳)11月
|
1869/11
|
◎開拓使,病院規則を制定.諸官員と従業者の診察・療養は無料,薬代は納付.貧民の薬・賄料は無料と決定.
|
|
【出典資料番号】:
349
|
14
|
明治2年(己巳)11月
|
1869/11
|
◎開拓使,アイヌ民族及び出産した移住者で生活困窮者には,出生児に5年間,玄米3斗5升入り俵を支給.懐妊等の申請は「五人組」を結成し,仲介することを達す.
|
|
【出典資料番号】:
349
|
15
|
明治2年(己巳)11月
|
1869/11
|
◎開拓使,移民・アイヌ民族の堕胎を禁じ,困窮のため養育できない出生児に玄米3俵与え,妊婦の使役を禁止.
|
第2巻p595
|
【出典資料番号】:
315
|
16
|
明治2年(己巳)11月
|
1869/11
|
十文字龍助大主典,イシカリ13場所内アイヌ民族の戸口調査を命じる(現札幌市域約40数軒確認).
|
|
【出典資料番号】:
332
|
17
|
明治2年(己巳)11月
|
1869/11
|
開拓使,札幌元村に仮診療所を設置.
|
|
【出典資料番号】:
311
|
18
|
明治2年(己巳)11月
|
1869/11
|
移民扶助規則を定め,募移民の15歳以上に玄米5合,7歳以上に4合,6歳以下に3合の扶助米を3年間支給.
|
|
【出典資料番号】:
311
|
19
|
明治2年(己巳)この年
|
1869
|
秋田屋と〓旅館の2軒,「飯盛女(めしもりおんな)」を抱え置いて営業.
|
|
【出典資料番号】:
467
|
20
|
明治2年(己巳)この年
|
1869
|
札幌の仮病院の医師2人・患者数46人.
|
|
【出典資料番号】:
311
|
21
|
明治3年(庚午)1月11日
|
1870/1/11
|
◎開拓使,深雪で人馬往来が困難な場合にも官員の駕籠を禁止.「老人子供婦人病人」の申し出は許可と達す.
|
|
【出典資料番号】:
349
|
22
|
明治3年(庚午)1月22日
|
1870/1/22
|
医師斉藤龍安,銭函から札幌元村仮病院に赴任.11月,仮病院を創成川東側の官舎へ移転,仮病院とする.
|
|
【出典資料番号】:
321
|
23
|
明治3年(庚午)3月26日
|
1870/3/26
|
札幌でオムシャ実行.官員・手代などまで酒下されるにつき,肴代として金8両永62文5分を出金.
|
|
【出典資料番号】:
321
|
24
|
明治3年(庚午)3月
|
1870/3
|
兵部省管轄の小樽・石狩病院,開拓使に移管.小樽へ平帰一・長谷川欽也赴任.
|
|
【出典資料番号】:
337
|
25
|
明治3年(庚午)7月5日
|
1870/7/5
|
斉藤龍安,仮病院に付随する病室設置を開拓使に上申.
|
|
【出典資料番号】:
514
|
26
|
明治3年(庚午)9月
|
1870/9
|
◎開拓使小樽役所,官吏巡回の際の賜物およびオムシャを廃止.
|
第2巻p541
|
【出典資料番号】:
312
|
27
|
明治3年(庚午)10月
|
1870/10
|
◎開拓使,北海道西部各郡の本陣・通行屋に対し「飯盛女」抱え置くことを許可する達を出す.
|
第2巻p569
|
【出典資料番号】:
519
|
28
|
明治3年(庚午)閏10月
|
1870/10
|
◎大学東校が函館病院はじめ全道病院を管轄.
|
第2巻p583
|
【出典資料番号】:
337
|
29
|
明治3年(庚午)12月
|
1870/12
|
開拓使,札幌はじめ13郡の私娼を廃止して旅店に「飯盛女」を置くこと,「遊女屋」は小樽のみに許可し他は「飯盛」と唱えるという伺いに対し回答を求める.
|
|
【出典資料番号】:
514
|
30
|
明治3年(庚午)この年
|
1870
|
札幌仮病院医師4人,患者数206人.
|
|
【出典資料番号】:
311
|
31
|
明治3年(庚午)この年
|
1870
|
庚午二ノ村(後の丘珠村)の農婦・関原とく,自作の蔬菜を馬に積み札幌市中で販売.
|
|
【出典資料番号】:
526
|
32
|
明治4年(辛未)1月14日
|
1871/1/14
|
開拓使,札幌郡移民はもちろん,雇入職人・人足にして漁場に出稼をなす者及び浜方より雇入れのため密かに入り込む者は,厳に処分すべき旨を諭達.
|
|
【出典資料番号】:
307
|
33
|
明治4年(辛未)1月
|
1871/1
|
開拓使,札幌・石狩の町役人に対し,開墾者に1反当り2両の開発料を与えることなどを達す.
|
|
【出典資料番号】:
349
|
34
|
明治4年(辛未)2月9日
|
1871/2/9
|
開墾掛,みだりに商売をする移住民は厳重に処分することを達す.
|
|
【出典資料番号】:
314
|
35
|
明治4年(辛未)2月9日
|
1871/2/9
|
開拓使,札幌市街移住の工商に対し,職業の余暇に開墾料を給して開墾させることにする.
|
|
【出典資料番号】:
349
|
36
|
明治4年(辛未)2月
|
1871/2
|
仮病院医師斉藤龍安ら3人,重病人の増加や遠方の患者のため札幌に本病院の建設を嘆願.
|
|
【出典資料番号】:
530 531
|
37
|
明治4年(辛未)3月
|
1871/3
|
◎開拓使,「掟」を布達し,農事奨励・若者の結党禁止などを指示.
|
|
【出典資料番号】:
314
|
38
|
明治4年(辛未)3月
|
1871/3
|
岩手県水沢の開拓使招募移民,麻畑(後の平岸村)に到着.総戸数63戸・300人.金山セイら秋田県雄勝郡出身者も同行.
|
|
【出典資料番号】:
537
|
39
|
明治4年(辛未)4月
|
1871/4
|
東本願寺の市在埋葬人数,57人(~1872年6月).大半は30歳未満の大工・木挽・杣・土方.
|
|
【出典資料番号】:
538
|
40
|
明治4年(辛未)4月
|
1871/4
|
中川源左衛門,開拓使仮本庁舎(木造純和風の石置き屋根)を完成.
|
|
【出典資料番号】:
515
|
41
|
明治4年(辛未)5月
|
1871/5
|
札幌開拓使庁に病院掛を置く(札幌における病院組織の起源).
|
|
【出典資料番号】:
311
|
42
|
明治4年(辛未)5月
|
1871/5
|
月寒に墓地(現豊平区月寒西)開設.1904年設置認可.
|
|
【出典資料番号】:
543 544
|
43
|
明治4年(辛未)6月17日
|
1871/6/17
|
◎行旅病人取扱規則布告.
|
|
【出典資料番号】:
546
|
44
|
明治4年(辛未)6月
|
1871/6
|
斉藤龍安の建言により,東創成町(北1東1)の仮病院に病室(40坪)を669円で新築.札幌病院とし,入院患者を収容.
|
|
【出典資料番号】:
311
|
45
|
明治4年(辛未)6月
|
1871/6
|
市中の主な職業別戸数は,建設関係21戸,食品関係21戸,旅籠・料理屋・遊女屋14戸,その他の商業58戸,不明2戸.
|
|
【出典資料番号】:
518
|
46
|
明治4年(辛未)7月1日
|
1871/7/1
|
◎種痘の新苗,渡来.太政官,種痘の改良・頒布に関し達す.
|
|
【出典資料番号】:
549
|
47
|
明治4年(辛未)7月17日
|
1871/7/17
|
◎開拓使,造籍の際に,妾は主人の籍に加え,「暇申し付け」(離縁)の場合は父兄に入籍の旨布達.
|
|
【出典資料番号】:
314
|
48
|
明治4年(辛未)7月24日
|
1871/7/24
|
開拓使,遊廓予定地を旅籠屋渡世の者に割渡し,薄野と称すことを達す.
|
|
【出典資料番号】:
551
|
49
|
明治4年(辛未)7月
|
1871/7
|
稲垣与兵衛以下53人,家作料貸与を受ける.
|
|
【出典資料番号】:
556
|
50
|
明治4年(辛未)8月28日
|
1871/8/28
|
◎政府,「えた・非人」等の称を廃し身分・職業とも平民と同様とする旨を布告.
|
|
【出典資料番号】:
534
|