1
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明治2年(己巳)5月14日
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1869/5/14
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◎出版条例頒布.書籍出版許可の事務を昌平・開成両校の所管とする.
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【出典資料番号】:
614
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2
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明治2年(己巳)8月28日
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1869/8/28
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東本願寺へ新道取立,移住人民の教諭を許す.
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【出典資料番号】:
351 517
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3
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明治2年(己巳)9月1日
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1869/9/1
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神祇官において大国魂(おおくにたま),大那牟智(おおなむち),少彦名(すくなひこな)の3神を開拓3神とする.
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【出典資料番号】:
381
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4
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明治2年(己巳)11月
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1869/11
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早山清太郎,神宮宮地を円山に選定し島判官に報告.
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【出典資料番号】:
381
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5
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明治2年(己巳)12月3日
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1869/12/3
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開拓3神を第1番役宅(北2西1)に仮安置.
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【出典資料番号】:
381
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6
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明治3年(庚午)1月
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1870/1
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祖霊社を設置.
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【出典資料番号】:
476
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7
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明治3年(庚午)5月15日
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1870/5/15
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札幌本府内に開拓3神を祭る一の宮を建設(現北5東1あたり.後の札幌神社).
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【出典資料番号】:
333 381
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8
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明治3年(庚午)5月30日
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1870/5/30
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東本願寺道場場所として1000坪を割渡す(8.11更に1000坪を割渡す).
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【出典資料番号】:
314
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9
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明治3年(庚午)5月
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1870/5
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祖霊社が東雲祠として南5西8に落成.
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【出典資料番号】:
508
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10
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明治3年(庚午)7月24日
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1870/7/24
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東本願寺へ札幌ほか6カ所の道場建設を許可.
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【出典資料番号】:
404 308
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11
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明治3年(庚午)8月24日
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1870/8/24
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東本願寺の現如が札幌に到着し,翌日小樽へ向かう.
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【出典資料番号】:
515
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12
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明治3年(庚午)閏10月
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1870/10
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東本願寺管刹所を建立する.
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【出典資料番号】:
308
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13
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明治4年(辛未)1月
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1871/1
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◎開拓使,山川健治郎ら7人を留学生として米国・露国に派遣.
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第2巻p397
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【出典資料番号】:
311
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14
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明治4年(辛未)5月14日
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1871/5/14
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開拓神の社名が札幌神社と決まる.
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【出典資料番号】:
381
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15
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明治4年(辛未)5月22日
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1871/5/22
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開拓長官東久世通禧,岩村通俊判官と西村貞陽権監事を伴い,中川源左衛門居宅・倉庫を写真撮影.
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【出典資料番号】:
539
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16
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明治4年(辛未)6月25日
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1871/6/25
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札幌神社が国幣小社に昇格.
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【出典資料番号】:
381 308
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17
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明治4年(辛未)8月
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1871/8
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田本研造,開拓使の依頼を受けて本府建設中の札幌各所を写真撮影.
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【出典資料番号】:
539
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18
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明治4年(辛未)9月3日
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1871/9/3
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札幌開拓使庁庶務掛,仮塾(仮学校)を元仮本陣跡に設置したので官員子弟や僕従は出席するよう各掛に連絡.20日管下に有志(平民可)の入校を勧める書簡を送付.
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【出典資料番号】:
560 561 596
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19
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明治4年(辛未)9月14日
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1871/9/14
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秋山久造,秋山座(南5西5)を開設.札幌最初の芝居小屋.
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【出典資料番号】:
562 563
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20
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明治4年(辛未)9月14日
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1871/9/14
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円山に仮本殿が完成し遷座祭を執行.
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【出典資料番号】:
381
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21
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明治4年(辛未)10月26日
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1871/10/26
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札幌開拓使庁,資生館を開校.
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【出典資料番号】:
463 2029
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22
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明治4年(辛未)11月12日
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1871/11/12
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◎開拓使,津田梅・山川捨松(やまかわすてまつ)ら5人の女子留学生を米国に派遣.
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第2巻p397/第2巻p564
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【出典資料番号】:
416 311
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23
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明治4年(辛未)この年
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1871
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遠藤祐次郎,琴似二十四軒に寺子屋式の教育所を開設.
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【出典資料番号】:
573
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24
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明治4年(辛未)この年
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1871
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小幡省三,平岸に私塾を設置.
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【出典資料番号】:
575 577
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25
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明治4年(辛未)この年
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1871
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札幌村の妙見堂が開拓使の許可を得て休泊所とする.
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【出典資料番号】:
403
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26
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明治4年(辛未)この年
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1871
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相撲場(南1東4)設置.開拓使御用の大工や職人が余暇に利用.
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【出典資料番号】:
578
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27
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明治4年(辛未)この年
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1871
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山下治兵衛,席亭山下(南3東3)を開設(札幌最初の寄席).
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【出典資料番号】:
562
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28
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明治5年(壬申)1月20日
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1872/1/20
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◎黒田開拓次官,東京に仮学校設立並に語学教師雇用の伺書を正院に提出(承認).
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第2巻p397
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【出典資料番号】:
516 416
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29
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明治5年(壬申)1月25日
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1872/1/25
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札幌神社が官幣小社に列格.
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【出典資料番号】:
381
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30
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明治5年(壬申)2月18日
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1872/2/18
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◎開拓使,留学生18人を米・露・仏に派遣.
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【出典資料番号】:
311
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31
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明治5年(壬申)3月14日
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1872/3/14
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◎開拓使仮学校を東京芝増上寺内に設置.4.15開校(校長,荒井郁之助).
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第2巻p398
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【出典資料番号】:
596
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32
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明治5年(壬申)3月
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1872/3
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◎「開拓使仮学校規則」制定(開拓技術者養成を目的とすることを明示).
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第2巻p398
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【出典資料番号】:
315
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33
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明治5年(壬申)3月
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1872/3
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白石村民,村学舎を設置.5月までに善俗堂と称し教育開始(教師杉山順・渡邊丹助).
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【出典資料番号】:
2084 600 601
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34
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明治5年(壬申)5月18日
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1872/5/18
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手稲村有志が時習館(同村34番地)を設置し,三木勉に教育を依頼.
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【出典資料番号】:
608
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35
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明治5年(壬申)5月
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1872/5
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武林盛一が来札し,写真師を開業.1876年写真館(南3西1)を新築,写真館は1884年から三島常磐に委託(のち譲渡).
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【出典資料番号】:
609
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36
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明治5年(壬申)6月1日
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1872/6/1
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◎開拓使,女学校教師としてオランダ人女性2人と雇用契約.
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第2巻p211/第2巻p400/第2巻p565
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【出典資料番号】:
595
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37
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明治5年(壬申)6月23日
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1872/6/23
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◎開拓使,アイヌ民族の教育ならびに農業技術習得のため,仮学校内に「土人教育所」設置の伺書を太政官に提出(承認).
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第2巻p544
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【出典資料番号】:
416 426
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38
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明治5年(壬申)6月
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1872/6
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琴似村の又一ら札幌・小樽・高島・石狩・余市5郡のアイヌ民族35人,年少者は仮学校で,その他は青山の開拓使官園で農業実習を開始.
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【出典資料番号】:
416 426
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39
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明治5年(壬申)7月11日
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1872/7/11
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白野夏雲,書画会を開催し席上揮毫も実施.
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【出典資料番号】:
324
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40
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明治5年(壬申)8月3日
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1872/8/3
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◎学制公布.
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第2巻p377/第2巻p564/第8巻1p36
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【出典資料番号】:
613 614
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41
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明治5年(壬申)8月
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1872/8
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篠路村で,武野有米橘(たけのうめきつ)が自宅で子弟に運筆を教授.11月校舎落成し篠路教育所として開校式を挙行.
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【出典資料番号】:
615 616
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42
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明治5年(壬申)9月19日
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1872/9/19
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◎開拓使仮学校内に女学校開設.
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第2巻p564
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【出典資料番号】:
516
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43
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明治5年(壬申)11月12日
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1872/11/12
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札幌本庁,市在14歳以下の初学者は資生館に通学可と達す.
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【出典資料番号】:
315
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44
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明治5年(壬申)11月16日
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1872/11/16
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資生館,入校年齢や学科を改変し再開校.英数教師としてJ・R・クラークを雇用.同月「学校仮規則」「学校仮内則」も制定(1873年2月条件付で施行許可).
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【出典資料番号】:
344 420
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45
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明治5年(壬申)11月18日
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1872/11/18
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札幌本庁,札幌郡各村に筆算教師を置き子弟を入学させるよう達す.
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【出典資料番号】:
618 622
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46
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明治5年(壬申)11月
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1872/11
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札幌本庁,札幌・苗穂・丘珠村に岡田潤桂,白石・月寒村に杉山順,手稲・円山・琴似・発寒村に三木勉,平岸村に小幡省三,篠路村に武野有米橘を筆算教師として任命.
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【出典資料番号】:
622
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47
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明治5年(壬申)11月
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1872/11
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小幡省三私塾,平岸村筆算指南所と改称.
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【出典資料番号】:
577
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48
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明治5年(壬申)この年
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1872
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円山山頂に山神碑を建立.
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【出典資料番号】:
623
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49
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明治5年(壬申)この年
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1872
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結城国足,斗南(となみ)藩から札幌に移住し,和歌を教授(札幌歌壇の草分け).
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【出典資料番号】:
624
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50
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明治6年(癸酉)1月8日
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1873/1/8
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善俗堂が教育方針「定」を制定.
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【出典資料番号】:
600
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