松本市文書館 小松芳郎
近世文書のなかで、ひときわ厚手で綴じがしっかりしているもののひとつに御用留があります。これについて、『新版日本史辞典』(角川書店)には、「江戸時代の文書の一様式。上級役所からの達書(たっしがき)や触書(ふれがき)、下からの願書や届書を書きとめたもので、一般的に帳簿の形態をとっている。領主支配の具体相や村の動きを動態的にとらえるための好個の史料」であると書かれています。また『日本史用語辞典』(柏書房)では、「御用書留帳ともいう。一般には領主からの触書・廻状を書留めたものだが、村内からの願届伺書を控えたものもある。村は、廻状や触書を受け取り、それを御用留に控えたのち隣村に廻した」と説明しています。江戸時代の村役入が作成した、いねば公文書であり、当時の様子を知るのに有力な手がかりとなる史料です。
松本藩筑摩郡庄内組白板の折井家の「御用留」をみましょう。庄内組は松本藩の筑摩郡五組のうちのひとつで、享保十年段階で13か村が組内にありました。白板村の折井家は、この庄内組の大庄屋でした。
折井家には80冊ちかくの御用留が所蔵されていますが、弘化4年(1847)の「御用留」が、今回紹介したものです。この年の正月からの1年間と、翌嘉永元年12月までが収録されています。
庄屋としての日々の勤めを書き記したりしていますが、ときには天候を記入しています。弘化4年1月9日は「大雨」、10日「曇ル」、16日「夜ヨリ雨」、19日「快晴」、28日「快晴暖」とあります。諸村への連絡の例では、たとえば2月28日に、「殿様埋橋御塚江、以来今朝四ツ時御参詣之儀被仰出」「両村へ達ス」とあります。3月8日の「来ル十八日御役所ニおゐて宗門改被成候間、例之通無間違朝五ツ時罷出候様、御申付可有之候」というように、公務に関する記述が多くなっています。