機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
キーワード一覧
NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 64件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
明治3年歎願書
([解説])
明治3年歎
願書
/ 明治2年の上田騒動があった次の年、丸山平八郎は上田藩庁へこの「歎
願書
」を提出しました。 ,「歎
願書
」を提出したのは、11代平八郎直養です。,その具体的な内容を「歎
願書
」から挙げてみましょう。 ,莫大な利益を上げていた上田の蚕種輸出が、ヨーロッパでの戦争によって大きな影響を受けたことを「歎
願書
」が,現在、上田領内はこのような状況に陥っていると「歎
願書
」に記されています。
寛保三年三月復旧方懇願書
([解説])
寛保三年三月復旧方懇
願書
/ 他方、寛保三年三月の「復旧方懇
願書
」からは、望月新町の住宅四七軒、そのほか土蔵・長屋などが流されたことがわかる,寛保二年一一月の「宿の堤防工事嘆
願書
」は、望月宿から幕府道中奉行所へ、流失をまぬがれた家の軒下が鹿曲川,寛保三年二月の「宿の堤防工事嘆
願書
」は、望月宿から被災地の見分に来た幕府役人へ、田地もおびただしく流され,寛保三年二月の「宿場引き移し嘆
願書
」は、望月宿から見分役人へ、堤防工事をお願いしたが、今後も水難を受ける,寛保三年三月の「復旧方懇
願書
」は、望月新町から幕府道中奉行所へ、望月新町は望月宿と川を隔てていることから
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([解説])
寛保三年二月宿の堤防工事嘆
願書
/ 他方、寛保三年三月の「復旧方懇
願書
」からは、望月新町の住宅四七軒、そのほか土蔵・長屋などが流されたことがわかる,寛保二年一一月の「宿の堤防工事嘆
願書
」は、望月宿から幕府道中奉行所へ、流失をまぬがれた家の軒下が鹿曲川,寛保三年二月の「宿の堤防工事嘆
願書
」は、望月宿から被災地の見分に来た幕府役人へ、田地もおびただしく流され,寛保三年二月の「宿場引き移し嘆
願書
」は、望月宿から見分役人へ、堤防工事をお願いしたが、今後も水難を受ける,寛保三年三月の「復旧方懇
願書
」は、望月新町から幕府道中奉行所へ、望月新町は望月宿と川を隔てていることから
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
([解説])
寛保三年二月宿場引き移し嘆
願書
/ 他方、寛保三年三月の「復旧方懇
願書
」からは、望月新町の住宅四七軒、そのほか土蔵・長屋などが流されたことがわかる,寛保二年一一月の「宿の堤防工事嘆
願書
」は、望月宿から幕府道中奉行所へ、流失をまぬがれた家の軒下が鹿曲川,寛保三年二月の「宿の堤防工事嘆
願書
」は、望月宿から被災地の見分に来た幕府役人へ、田地もおびただしく流され,寛保三年二月の「宿場引き移し嘆
願書
」は、望月宿から見分役人へ、堤防工事をお願いしたが、今後も水難を受ける,寛保三年三月の「復旧方懇
願書
」は、望月新町から幕府道中奉行所へ、望月新町は望月宿と川を隔てていることから
明治3年歎願書
([現代訳])
明治3年歎
願書
明治3年歎願書
([翻刻])
明治3年歎
願書
寛保三年三月復旧方懇願書
([現代訳])
寛保三年三月復旧方懇
願書
寛保三年三月復旧方懇願書
([翻刻])
寛保三年三月復旧方懇
願書
西江部村篠田家文書
([現代訳])
一昨年、代官久保平三郎様にお願いしたところ、出来るだけ努力して用水を引くように命じられて
願書
は取り上げてもらえなかった,去る酉(寛政元年)四月、御料所巡見使が回ってきた時に直接
願書
を差し出したところ、見分吟味していただくことになった,その後、原田清右衛門代官になって
願書
を出したが、時節もあるからと取り上げてくれなかった。 ,久保平三郎代官になって願い出たところ
願書
を取上げてくれたので、見分などがあると待っていところ、代官が代,わって見分吟味ができなくなり、後ほど願うようにと
願書
は返されてしまった。
木曾山林学校
(17.入学者資格及試験)
尚其手続に就きては第17条の入学
願書
・履歴書及身体検査書を毎年3月25日迄に差出すべし。, (改頁) 47 又
願書
差出期限たる3月25日に尚在学中,にして、3月末までに卒業若しくは修業の見込みあるものは、其旨を記載せし当該学校長の証明書を
願書
に添付し,前者の場合には入学
願書
提出の際、試験地を記したる届書を入学
願書
に添付すべし。
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([現代訳])
寛保三年二月宿の堤防工事嘆
願書
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書
([翻刻])
寛保三年二月宿の堤防工事嘆
願書
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
([現代訳])
寛保三年二月宿場引き移し嘆
願書
寛保三年二月宿場引き移し嘆願書
([翻刻])
寛保三年二月宿場引き移し嘆
願書
寛保二年十一月堤防工事嘆願口上書
([解説])
他方、寛保三年三月の「復旧方懇
願書
」からは、望月新町の住宅四七軒、そのほか土蔵・長屋などが流されたことがわかる,寛保二年一一月の「宿の堤防工事嘆
願書
」は、望月宿から幕府道中奉行所へ、流失をまぬがれた家の軒下が鹿曲川,寛保三年二月の「宿の堤防工事嘆
願書
」は、望月宿から被災地の見分に来た幕府役人へ、田地もおびただしく流され,寛保三年二月の「宿場引き移し嘆
願書
」は、望月宿から見分役人へ、堤防工事をお願いしたが、今後も水難を受ける,寛保三年三月の「復旧方懇
願書
」は、望月新町から幕府道中奉行所へ、望月新町は望月宿と川を隔てていることから
松本藩庄内組大庄屋御用留
(3、大庄屋と折井家)
締まり、用水・道路などの普請入用割、年貢の割付や取りたて、藩からの布達の組内への伝達、各村々からの諸
願書
,また、城下に設置された大庄屋会所に詰めて、郷村からの
願書
・届出の決裁、命令や指示の受領とその処理もおこないました
松本繁昌記 上・下
(発行までの経過)
出版人の高美甚左衛門らが長野県の県令(今の県知事)に提出した出版の
願書
と、明治政府に提出した出版届は、,出版御届書 御
願書
別紙松本繁昌記出版御届書一通其筋エ御進達奉願候也 明治十六年九月一日
分県之建白
(分県建白書の提出)
この3人は9月9日に松本で準備を整え、18日に有志による壮行の宴をうけ、20日に分県請
願書
を携えて上京,3人はここで人力車に乗って長野に向かい、21日には県庁で知事から請
願書
についての添書を得て上京しました,分県請
願書
は22年9月26日に内務省に提出されました。
書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([解説])
んぼを漂流した話」の続きに書き写されている「寛保三年亥二月、江戸表ニテ高井郡廿三ヶ村飢人夫食御拝借御直訴
願書
,直訴
願書
によると、「二十三か村は以前より水害の多い場所であったが、特に近年は連続して水害に合い困り苦しんでいた,そこで、寛保三年正月十一日、二十三か村代表が直訴
願書
を持って江戸へ出発した。,二十三か村は、嘆
願書
の中で「信州は雪国で百姓の冬仕事は何もない。
寛保二年九月上畑村水災につき当立毛御見捨願
([現代訳])
[現代訳] 恐れながら
願書
をもってご訴訟申し上げます 一、当八月一日・二日の大満水によって、田畑はいうまでもなく
寛保二年九月上畑村水災につき当立毛御見捨願
([翻刻])
[翻刻] 乍恐
願書
を以御訴詔申上候御事 1 一当八月朔日・二日之大満水ニ而御田畑ハ不及申
犀川を下る記
(2.天竜川通船)
文政6年(1823)神子柴村(南箕輪村)孫市が諏訪から掛塚(静岡県磐田市)までの通船
願書
を松本藩に提出,その後、木曽11宿から反対が起こったので、変更
願書
を出して折衝を重ねた結果、中馬村々、木曽11宿との合意
割田家文書
([解説])
史料2は、戌の満水から一か月以内に出された
願書
である。 ,史料3は、十二月に出された御普請
願書
である。 ,史料4は、次の年の三月に再び出された御普請
願書
である。
西江部村篠田家文書
([解説])
安永九年、西江部村名主市左衛門ら三役連名で岩出伊右衛門代官に
願書
を提出した(前出の寛政二戌年「御吟味ニ,だが、「容易ならざる願筋」だとして、なるべく手入れいたし精を出して年貢を上納するよう命じられ、
願書
は取,その後、久保平三郎代官の時に
願書
は取り上げられたが、代官が変わってそのままになってしまった。,回ってくることになったので、取るべき手段のなくなった西江部村では、代官を差し置いて、この巡見使に直接
願書
西江部村篠田家文書
([翻刻])
、去々午 年久保平三郎様御支配之節奉願候処、可成丈 出情手入いたし用水引取方勘弁可致旨被 仰渡
願書
御返被成候処, 畑方御年貢被成下候様仕度旨相願候処、不容易願 筋ニ付可成丈手入出情御年貢上納可仕旨被 仰渡
願書
御取上無之,ニ相成候処、右御役所ニ而被仰渡候 ハ、此節差懸り御見分御吟味難御行届ニ付追而 可相願旨被 仰
願書
被成御返
松本藩庄内組大庄屋御用留
(1、御用留)
上級役所からの達書(たっしがき)や触書(ふれがき)、下からの
願書
や届書を書きとめたもので、一般的に帳簿
寛保二年八月上畑村水災救恤願
([翻刻])
[翻刻] 1 乍恐
願書
を以御訴詔申上候御事 一当八月朔日之夜中より二日之朝迄大満水ニ
寛保二年八月上畑村水災救恤願
([現代訳])
[現代訳] 恐れながら
願書
をもってご訴訟申し上げます 一、当八月一日の夜中から二日の朝まで大満水で
パスファインダー
(「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害)
shinshu-chiiki/ 概要 「地震・火山・水害等災害の記録」に戌の満水に関する絵図や被害状 況・嘆
願書
等資料多数
パスファインダー
(移庁・分県運動)
p.76 3 論題名 長野県における移庁分県運動の一動向―明治24年2月「長野県分県 請
願書
浅間山大焼け以来難儀につき見分願い
([現代訳])
そのうえ見分の役人へも
願書
を提出するので、善処を願いたい。
寛保二年八月上畑村水災救恤願
([解説])
上畑村は当時、七〇〇〇石の旗本水野惣兵衛忠穀領であったが(役所は高野町にあった)、
願書
のなかで「殿様(
寛保二年九月上畑村水災につき当立毛御見捨願
([解説])
上畑村は当時、七〇〇〇石の旗本水野惣兵衛忠穀領であったが(役所は高野町にあった)、
願書
のなかで「殿様(
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極証文
([解説])
上畑村は当時、七〇〇〇石の旗本水野惣兵衛忠穀領であったが(役所は高野町にあった)、
願書
のなかで「殿様(
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([翻刻])
セラル 同月六日大和守名代内藤甚十郎登城 ノ処、御朱印ヲ賜ハル 同月十一日大和守駿河守ト改名、
願書
使者
パスファインダー
(水戸の浪士伊那路通行)
第3 飯田万年記.水戸浪士伊那路通行 「尊王攘夷」 地域の動き展示 (天狗党への嘆
願書
など) 信濃毎日新聞
パスファインダー
(江戸時代の飯田藩と飯田町)
伊坪達郎/著 伊那 2002 12-3~14 近世飯田町の人々の移動(一)~(ニ)ー野原文書「縁談
願書
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
茶・肴御町ニ而請売仕候様ニ被仰付候旨、其以後被仰渡候 【(朱書)四 ○】享保三戌年十三町より指上候
願書
之覚, 上ニ而被退候 右之通於御会処ニ対決之節申上候 享保五子年六月塩之義ニ付伝馬町出入有之、
願書
,申合 候事 一伝馬町より右之申合故塩調候儀不罷成候ニ付、当五月 (改頁)
願書
, 町役人并拾三町之者共被召出御内聞被遊、依之右差上申候
願書
ニ右御三人様御裏書御印形共ニ被遊、, (改頁) 差出候様致度旨と申付候ニ付、猶又申談以上ニて
願書
可差上相答
パスファインダー
(松沢求策と奨匡社の国会開設運動)
松沢求策 上条螘治 太田伯一郎 森本省一郎 浅井洌 市川量造 武 居用拙 奨匡社 国会開設請
願書
パスファインダー
(天明3年(1783)の浅間山噴火)
shinshu-chiiki/ 概要 「地震・火山・水害等災害の記録」に、浅間山噴火に関する被害状況・嘆
願書
等資料多数
「内藤家十五世紀」(十一)(藩校進徳館設置のこと)
([現代訳])
同月11日大和守は駿河守と名前を改め、
願書
を使者に持たせて老中へ差出したところ、即日聞届けられた
パスファインダー
(江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工事)
/adeac.jp/shinshu-chiiki/ 「災害の記録」に、戌の満水に関する被害状況、嘆
願書
等資料
書留帳(延徳田んぼを漂流した話)
([翻刻])
御奉行所萩原伯耆守様へ右 (改頁) 67 之通御願申上候所ニ、村々
願書
御取上被下置候而,、去十一日ニ御直訴仕候処ニ 御取上ヶ被成下、廿一日ニ御代官様へ被召出被 仰渡候ハ、右御直訴申上候
願書
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
一右の申し合わせにより、伝馬町は塩を調えることができないため、当5月に
願書
により御役人中へ願い出た。,古法の通りに申上げたが、その後伝馬町の
願書
は取り上げられなかったと承知している。,これによって
願書
に3人の方々が裏書をして印をつき、13町へ渡してくれた。,一
願書
の趣旨を年寄福住太郎太夫がいちいち尋ね、久四郎がくわしく答えました。,言われ、さらに相談し
願書
を差し上げました。
「月桂新誌」(7冊)
([解説])
その始まりは、松本の奨匡社のスタートの時期で、その終りは、奨匡社の国会開設の請
願書
をもって松沢求索らが
木曾山林学校
(◎長野県西筑摩郡立甲種木曾山林学校学則)
其証書によりて学力を検定し入学を許すことあるべし 第 14 条 入学志願者は左の書式に依(よ)り入学
願書
木曾山林学校
(8.長野県立甲種木曾山林学校学則)
於テ、国語、算術、地理、日本歴史、理科ニ就キ之ヲ行フ 第 17 条 入学志願者ハ左ノ書式ニヨリ入学
願書
むしくら日記
(4巻 貞)
付ぬ、 ○妻女山の三災亡霊の碑ハ予か懸りニて御建立也、 (改頁) 国役御普請御
願書
写, (改頁) 37 (改頁) 五月十四日 一、国役御普請御
願書
,付御勘定奉行御勝手懸り石河 土佐守様・松平河内守様江茂藤田繁之丞 罷出、御用人江面会、伊勢守様江御
願書
,被差出候段、何分茂御含被成下候様申述、 国役御普請御
願書
写御用人共を以差出 (改頁)
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
一桐原分新堤土手笠置眼付 致度ニ付、上り地斗代増拝借 致度願差出候ニ付、差上候処、 左之通り申参ル 一別紙堤
願書
年賦拝借,而仕立候ハゝ、御見分之上御目論 見請候而可然、其形リ之願 意ニ認直し、可差出旨被 申聞候、
願書
御下,上度早々、以上 十月十八日 藤井 中沢 右桐原江申遣ス、則
願書
返, 間、就而者昨年御承知も被下候通 之事ニ候得者、当年之義者当 組囲穀高之
願書
差出可申候間、,ツ割 此分百廿五枚 此之分木品御願之書面ニハ 三拾本有之、五本分ニ付
願書
御直
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
地の斗代増拝借したいという願を差し出したので、差し上げたところ左のとおり申し参った、 一、別紙の堤
願書
,かされたので、よろしく御取り計からい可くだされたい、十月十八日 藤井・中沢より、 右を桐原へ申し遣す、すぐに
願書
,囲穀、組下の高御取り調べ、明日御差し出すように申し聞かされ、御承知されたい、 一、囲穀の詰め替え
願書
,すように御沙汰があった、ついては、昨年御承知もくだされたとおりのことなので、今年については当組の囲穀高の
願書
,一尺角 二十五本 但し五つ割り この分百二十五枚 この分木品御願之書面には、三十本あり、五本分につき
願書
/ 2ページ