収録した「御用留」の記述は、弘化5年正月元旦からはじまりますが、詳しい記録は三日からはじまっています。本書によって、大庄屋の諸々の任務の実態の一端があきらかになります。
弘化四年で特筆すべきことは、善光寺大地震がおきていることです。
収録した「御用留」によっても、当時の様子を知ることができます。「廿四日夜五ツ七分頃、地震ゆり出し増々強ク大ゆりニて、我等方家居土蔵共ニ大ニ損し、四ツ時頃迄ゆり出し、其後も折々ゆ申候」という記述が、公的記録のなかに突然でてきます。松本でも強い揺れがあったことがわかります。25日は、「当日も終日ゆり候得共、格別大ゆり者無之」、「地震ニ付筑摩神社江只今ヨリ御祈祷被仰付候」、28日「夜九ツ時大ゆり」、29日「地震ニ付善光寺参詣人死失之者書上」、4月6日「天気地震有之候但シ強シ」、等々、体感した地震についてや、村のうごきは6月ころまで書かれています。
各地域での対応のありかたが「災害文化」であるといわれますが、この御用留には、地震情報の伝達のありようと、災害にたいする村役人としての折井家の対応が記されています。地震だけでなく、弘化4年10月24日には「夜九ツ時頃早鐘打候間見廻」ったところ、干草が燃えていた、というような記事もあります。
このほか、藩からの達しへの対応、組内の村々への指示など、ほとんど毎日書かれています。また、行方不明になった人の人相書を示して「左之人相之者村方へ参り候ハバ、留置右村庄屋方へ致通達候様組下村々」へもれなく申し聞かせよという記事もみえます(嘉永元年5月)。こうした記録を読むことによって、江戸時代の村行政の一端を垣間見ることができます。