奉迎の準備として政府は「沿道地方官心得書」を出しました。この中には明治5年以来不変の条文があるとともに、明治11年には形容虚飾の禁止が強調された。不変のものとしては、沿道への竹棚設置や仏門・不浄所等の掩蔽(えんぺい・おおいかくすこと)不要、天皇行列の拝見勝手、往来の通行差し止め不用、庶民の平常どおりの営業、奏任官以上の天機伺、献上物不要、休泊所設置の際の特別修繕不要、供奉官宿舎の準備であった。また、明治9年に追加された条文は、管内巡査による行列警護、休泊所への官員派遣、行在所(あんざいしょ)に用意する品々を規定、孝子義僕節婦其他奇特者の調査、80歳以上の者の調査、管内地図と一覧表の作成等であった。
そして、明治11年に新たに追加された条文で注目されるのは、第1条に巡行の趣旨説明が掲げられ、巡行は天皇が親しく地方民情を知るために行うことであり、そのために全ての準備を形容虚飾してはならないと述べ、人民の困苦迷惑にならないようにと注意している。第2条は道路橋梁の修補を行う際には、先発官の指示を受けることとし、決して人民を難儀させてはならないと述べ、修繕費は官費にすると明言している。
第3条は、行在所は土地の事情に従い、天皇はどのような不便をも忍ぶと述べている。
また、前回より詳細な県治報告書(殖産興業に関する事項が追加された)の提出を求め、地方の状況を十分把握しようとする姿勢が示されている。(『明治六大巡行-地方の布達と人々の対応-』(長谷川栄子 熊本出版文化会館 2012年より)
このように人民の困苦迷惑をできるだけ避けようという方針を示したのは、大久保利通でした。暗殺された大久保の懐から出てきた「巡行訓示案」には、「巡行は天皇が各地の風土人情、民間之疾苦等」を知り、「天職」を尽くすことである。また、地租を引き上げた中で、民費節約は最も重要なことという旨が書かれていたという。