巡行と自由民権運動の関係については、両者の民衆の支持をめぐる競合関係を色川大吉が指摘して以来、多くの巡行研究の動機となったとされる。例えば、有賀義人と上條宏之が、民権結社に所属する豪農商層の奉迎準備参加と巡行先発官の圧力が松本における国会開設運動の退潮をもたらしたと指摘している。
民権派と政府・地方官との「形容虚飾」の攻防のなかで、警察の不敬取締事項が増加していたことに対し民権派は正面きって批判しなかった。巡行を重ねる中で形成された天皇への敬意の作法が、不敬という概念となり、民権運動の弾圧に使われるようになることを民権派は見通していなかったといわれる。
色川大吉は一般人民の天皇の歓迎の型は「無関心型」「信仰型」「打算型」があったが、中でも天皇を拝み、天皇が触れたものを有難がる「信仰型」が最も多かったと述べている。