[解説]

御城下古法并市場古法書抜書集
松川町資料館 伊坪達郎

 『御城下古法并市場古法書抜書集』は、飯田市立中央図書館が所蔵している「飯田文書」の中にあります。この文書には飯田町の商売に関する史料が25点筆写され、まとめられています。末尾の記述を見ると、「天保14(1833)年閏9月写之」とあり、途中に「弘化2(1845)年2月写之候」とあります。江戸時代後期に、それまでの様々な記録の中から、商売の約束に関する記録を取り出して、筆写したことがわかります。これを筆写したのは、「顧己亭 吾慎」であると書かれています。飯田町町人だと思われますが、誰であるのかわかりません。また表紙の左すみに「桜井氏蔵書」と書かれています。桜井氏は本町2丁目にいて問屋役など勤めた桜井氏(板屋)だと思われますが、はっきりとはしません。飯田町の商売に関する約束が、だんだん守られなくなったり、町の状況が変化していることを見たりして、今までの約束や飯田藩からの通達を見返して、記録したものと思われます。またこの『御城下古法并市場古法書抜書集』は、冊子の表紙から20枚目あたりまでの左上部が、虫喰いなどで欠けており、ページの第1行・最終行の初めが、解読できないところがあります。
 筆写された25点の記録の時期を見ると、寛永期(1624~1644)が1点、慶安期(1648~1652)が1点、寛文期(1661~1673)が1点、正徳期(1711~1716)が2点、享保期(1716~1736)が7点、安永期(1772~1781)が4点、享和期(1801~1804)が2点、文化期(1804~1818)が7点となっています。享保期と文化期が多いことがわかります。それはその時期に、飯田町の商売についての約束について、争いがあったり変更があったりしたためです。
 寛永期から寛文期は、飯田町13町の竪町(縦の通り)と横町(横の通り)の商売物をめぐる争いがあり、竪町の主張が通り秩序が確立します。それにかかわる史料です。享保期は飯田町の13町(現在の橋南地区)と5町(現在の橋北地区)の塩・魚の商売をめぐる争いがあり、13町の主張が認められ約束が確立します。伝馬町として成立した伝馬町・桜町の5町は、次第に人馬の通行が活発になるにつれて、様々な必要に対応した商売を広げていきました。そのため13町と商売が競合するようになりました。それにかかわる史料が何点かあります。また飯田町の周辺農村に在郷町ができるようになり、商売の特権を主張する飯田町に対して、時代の変化に対応して商売を展開しようとする周辺農村の動きが活発になりました。飯田町町人の訴えを受けて、飯田藩は飯田町の特権を認めつつも、新たな在郷町の動きも認め、商売をしてよい品物や禁止する品物についての裁定を出しました。享保期までに飯田町を中心としたこの地域の商品流通にかかわる約束がだんだん定まり、飯田町の形が出来上がりました。この大きな動きに関する史料が多数あります。
 ところが江戸時代の中期に入ると、中馬の発達により、商品流通は一層盛んになりました。飯田町に入る荷物、出て行く荷物の量はかなりの増加となり、人の動きもさらに活発になりました。そうした中で、飯田町町人の中にはさらに利益を得ようと、それまでの約束を越えて、様々に商業活動を展開する人たちが出てきました。また飯田町周辺も大きく変化していて、八幡町(飯田市松尾)が一つの拠点になって、その周辺の農村部との関係を強め、飯田町に対抗するような動きも明確になってきました。そこで、それまでの古法を持ちだして、自分たちの特権を守ろうとする飯田町町人、商売の新たな展開を図ろうとする他の飯田町町人、飯田町内の変化に合わせ約束の変更を求める飯田町町人、商品生産を掌握し、商品流通の活発な流れに入っていこうとする周辺の商人など、さまざまな動きが出てきました。それぞれが利益獲得のために、時には対立し時には連携し、商業活動を進めていきます。その中で起こるいろいろな争いとその解決の方向を示す史料が、安永期~文化期の史料です。安永期には、塩・魚荷物について13町内での申合せが書かれています。享保期に決まった約束に反する商業活動をする者があり、なかなか守られていないことについて、細かに申し合わせています。享和期から文化期にかけては、さらに約束を守っていない商人の例が多く見つかり、飯田町として過料銭(罰金)を課すなど、引き締めをしようと動いていることがわかります。このことから、時代の変化の中で、商業活動は自らの利益を確保しようと様々な広がりを見せますが、それまでの慣行により自らの利益を確保しようとする飯田町町人と、新たな状況に対応して利益を得ようとする人たちとのせめぎ合いがあったことが想像されます。文化期には全国的に知られた紙問屋騒動も起こっており、それらは関連を持っていると思われます。
 『御城下古法并市場古法書抜書集』は、飯田町がどのように形づくられていったのか、どんな問題をはらみつつ商業活動が展開されたのかを知ることのできる史料だと思います。