[標題紙]
 
小県(ちいさがた)郡民謡(みんよう)集      4
小山真夫
郷土研究社発行
 
  (改頁)      5
 
 
   序
 
 吾等(われら)の先代は祖先より幾代(いくだい)も幾代も此(この)郷土に生れて此
山川に育ちて此土砂に葬(ほうむ)られて来たのである。……少くとも桃山江戸時代を通じて一国
は元より一藩一領に至るまで鎖国主義を押し通し外来文化の摂取(せっしゅ)同化を
難(かた)からしめた期間、国内統一の必要上公武(注1)より庶民に至るまで階級制度
を以(もっ)て社会組織を定められてゐた期間。……それ故(ゆえ)幾代前の祖先も又現
代の吾等子孫も同様の天地、同様の空気の下にたいした変化もなく殆(ほとんど)同
一状態の掬育(きくいく 注2)を繰り返へされて人と成つたのであつた。
 東京時代となり開国主義を取りて世界の文化を採り入れ、階級制度を
廃して人材の登用をしたので、今は都鄙(とひ 注3)の別こそあれ国を挙げて同一文
 
  (改頁)
 
化圏内にあるの観を呈してゐる。これによりて旧風は頽廃(たいはい 注4)し地方色は減      6
褪(げんたい 注5)し吾等の祖先幾代もがはぐくみ育つた生活様式などは知るに手づきも
無くなつた。吾等は将(まさ)に時勢に適応すべき生活を築き上げつつ行かねば
ならぬが、又既に蒔(ま 注6)きつけられてゐた育ちを能(よ)くよく知つての上でなく
てはならぬ。大空の星を眺めて足先の水に溺(おぼ)れず、底津岩根(そこついわね 注7)に岩柱太知(しるし)のみあらかも建つべきである。
 明治年間の初期に生れた吾等は比較的近代雰囲気に多く生活してゐる
が、幼少の時を追想すれば決して今日の如(ごと)きものでなく、幾代とも知れ
ぬ祖先がはぐくまれたと同一の様式のもとに人となつた。更(さら)に其(その)父母を
通し祖父母を通して吾等の掬育せられしそれよりも遥(はるか)に濃厚なる先代の
生活様式を窺(うかが)ひ得たのである。嘗(かつ)て旧様式中に人と成つた時は何の不審
も疑惑もなかつたのであつたが、今日にして之(これ)を思へば然かくも変るも
 
  (改頁)
 
の哉(かな)と痛切に感ぜられ日一日と滅び行く郷土の風習……而(し)かも嘗ては自
分自らがはぐまれしもので、将来は子孫誰もがはぐくまれ得られぬ風習
……を時折筆にしてゐたものを集て小県郡民俗として見たいと考へた。
然(しか)し民俗志(注8)として各項に亘(わた)りて其完璧を期する(注9)も亦(また)容易の業(わざ 注10)でないので、既に蒐集(しゅうしゅう 注11)した資料により幾分でもまとめのついたものより単行本として見ようと考へ直した。其最初にうぶ声を挙げたものが小県郡民謡集である。之に次いで漸次(ぜんじ 注12)小県郡民俗の各集をものし(注13)て見たい決心である。
 
  大正十五年三月
 
      郷里武石(たけし)村にて
         小山真夫識す
 
 注1.公家(くげ)と武家。
  2.やしない育てること。養育。
  3.みやこと、いなか。
  4.すたれること。
  5.おとろえること。少なくなること。
  6.蒔く……ふり散らす。
  7.底津岩根~知る……『古事記』(「根の堅州国訪問」)の一節を踏まえた表現。原文の意は、「大磐石の上に宮柱を太く立て、高天原に千木を高くそびえさせて」。
  8.民間の習俗の記録、。
  9.完璧を期す……一つも欠点がないことをめざす。
  10.容易の業……簡単に行えること。
  11.ある物をいろいろ集めること。
  12.次第に。だんだん。
  13.ものする……まとめる。