『おらが春』は出版を前提としていたらしく、自筆の稿本は、挿絵も一茶自身が描いています。しかし生前は出版されず、稿本は中野(長野県中野市)の没後の門人白井一之(1821~1884)のもとに伝わりました。一之は一茶没後25年目の嘉永5年(1852)、自筆稿本を元に『おらが春』を出版しました。『おらが春』の書名は、一之が「目出度さもちう位也おらが春」の句により名付けたものです。その際、児玉逸淵の序、瓢界四山人と惺庵西馬の跋が添えられました。また巻末には付録として、連句や諸家の句が付け加えられました。
当初は一之の自費出版でしたが、安政元年(1854)に江戸須原屋から『一茶翁俳諧文集』の書名で再版されたのをはじめ、明治11年(1878)版など、多数の後刷本があります。