平安末期、九州の筑前刈萱荘博多という所に、加藤左衛門尉重氏という領主がいました。 ある春の花見のおり、自分の盃に桜の花が舞い落ちるのを見て世の中の無常を感じ、出家をして仏門に入る決心をしました。 家族には何も言わず、はるか遠い高野山にて修行に励み、周囲から刈萱道心と呼ばれるようになりました。