/ 93ページ
画像
画像ビューア
目録ID mp000250-200010
タイトル 顕栄真影(九代)
タイトル(カナ) けんえいしんえい
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 天正十二年
製作年終
数量 一幅
形状 掛幅
大きさ
大きさ(縦) 90.5cm
大きさ(横) 40.2cm
媒体
形態に関する注記 絹本著色、掛幅装、紙箱
保存状況
縮尺
その他の注記
言語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 勝興寺第9代住職・顕栄の肖像である。檜扇と念珠を持って高麗縁の上畳に斜め右向きに座し、僧綱襟を立てた鈍色の法衣に、白地の袈裟を着けている。顕栄は、永正6年(1509)、勝興寺第8代住職・実玄(1486~1545)の三男として生まれた。母は、妙勝(顕証寺蓮淳の娘)。 実玄の長子・証玄は、20歳にして早世。次子・玄宗は、天文14年(1545)父の没後、継職するが、弘治2年(1556)43歳にして没し、三男・慶栄(後、顕栄と称す)が勝興寺住職を継ぐ。顕栄は、永禄11年(1568)から始まった越中一向一揆と神保長職勢との抗争では、一揆勢力の中心として活躍した。また、石山合戦にも出陣したという。 天正9年(1581)、木船城主・石黒左近将監によって放火され、安養寺の寺基を焼失。この後、本願寺に寄寓したようで、和泉国貝塚で没している。 没年は、「安政三年勝興寺殿御由諸抜書」(高岡市教育委員会編『勝興寺伽藍』所収)に、天正8年(1580)12月2日没、『真宗人名辞典』には、天正8年12月1日没とある。また、「勝興寺系図」(『富山県史』通史編Ⅱ所収)に、典拠『宇野主水日記』として、天正12年(1584)12月卒。『貝塚御座所日記』に、天正12年12月1日とある。裏書の「天保十二稔甲/申」部分は、後補であるが、「天正十二年庚/辰」を書き誤ったものとすれば、没年は天正12年となろうか。(高田克宏)【参考文献】『釈尊と親鸞 親鸞編 第4期出品 解説』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成24年(2012)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 勝興寺
原資料の所在地 勝興寺
資料番号 『勝興寺宝物展』図録番号:25、『勝興寺絵画目録』整理番号:三三二
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別 絵画
資料分類(大分類) 宝物
資料分類(中分類) 絵画
資料分類(小分類)
文化財情報 富山県指定文化財
manifest.jsonへのURL
参照データ
関連ページURL 宝物作品解説
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料 『勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念』(勝興寺ほか 2005)
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名 『雲龍山勝興寺絵画目録』(勝興寺文化財保存・活用事業団 2010)
デジタル化の経緯に関する注記
/ 93ページ