解題・説明
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この水指は、羽柴秀吉から下賜されたとの伝承があり、そのことは箱蓋裏にも記されている。また、勝興寺の調査報告書である「明治二十九年六月再調 取調書」にも、宝物の一つとして挙げられ、次のような解説が付されている。 『一南蛮焼水指 一口/一古銅鑼 一箇/右二種豊太閤天正十三年閏八月本国富山城主佐々成政退治ノ為メ下向ノ際当時住職顕幸赦免和睦ヲ乞フタルヲ感賞アリテ之ヲ賜』 いずれの伝承も、当時の勝興寺第10代住職・顕幸(1555~1604)が「佐々攻め」に功があったことにより下賜されたとしている。水指は、烏帽子形の器体に、釘彫で豪快な櫛目をつけ、頂上部に花文や巴紋を配した和風の共蓋をつけている。器体の表面は焼成焔によって自然に生じた多彩な色彩の変化があり、人為ではできない確かな統一感を生んでいる。釉薬は掛けられていないが、粗陶という感じは全くない。名称については、外箱には「南蛮烏帽子形水指」、内箱には「南蛮物三角水サシ」とあり、また先の「取調書」には「南蛮焼水指」となっている。「南蛮物」については、なお慎重な判断が必要と思われるが、勝興寺にこのような伝承が伝わっていることに歴史的な価値が見出せるだろう。(高田克宏)【参考文献】特別展『秀吉 越中出陣-「佐々攻め」と富山城』富山市郷土博物館,平成22年(2010)
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