解題・説明
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平安時代以来、櫛は他の化粧品や装身具と共に手箱に納められて貴族の重要な調度となったが、江戸初期に結髪が急速に発達すると、櫛は美術的に高いものが求められるようになり、蒔絵や彫刻、金銀の飾りをつけるようになる。江戸後期には庶民にも普及して小型化するが細工は緻密さを増し、櫛や内容品の種類や数も多くなったので手箱に納まりきらず、引出を備えた櫛台(櫛箪笥)が生まれた。本資料は黒漆地に金蒔絵で円内葵紋を各面に数個描いただけの簡素なもので、婚礼調度ではなく、大奥で日常的に使用されたものと考えられる。柄鏡・柄鏡掛と同じく黒漆地に同じ形の葵紋をつけているので、柄鏡と一緒に勝興寺第24代住職・尊弘の母から伝わったものと考えられる。
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