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目録ID mp000920-200010
文書名 前田利長消息
文書名(カナ) まえだとしながしょうそく
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 (慶長一三年)七月一〇日
作成年終
数量 1点
形状 書状
寸法
寸法(縦) 34.0cm
寸法(横) 50.5cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 徳川家康の教如取立て、本願寺の東西分立が進められた。一方の西本願寺門主准如と江戸幕府との関係は微妙であった。そこで准如は、幕府の吉凶事や将軍の仏事の際などには自ら駿府や江戸に下向した。それは、以後の歴代門主が継職の場合や幕府有事の際に江戸下向する先例となった。慶長十三年(一六〇八)七月、駿府(家康)・江戸(秀忠)より帰洛する際に、准如は北国街道を経て越後より入国し、横山(入善町)、魚津、水橋を通って富山に入った。准如歓迎に二〇~三〇万人が参集したともいわれる。翌十四年三月に火災により城を失うまで富山に在城した前田利長は、従来から准如に好意的であった。准如の日程などについては事前に勝興寺から伝えられているので、それに従って青山佐渡守に歓迎させたり、また本書状にあるように、神尾図書助に通路や橋の整備をさせ、また富山城中へも招いている。次いで七月十九日奥村長兵衛書状が宿舎準備について伝えており(『雲竜山勝興寺古文書集』六八号)、さらに金沢を経て、帰洛した。(久保尚文)(引用:「重要文化財勝興寺本堂落慶記念 勝興寺宝物展」)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 勝興寺
原資料の所在地 勝興寺
資料番号 『勝興寺宝物展』図録番号:92、『勝興寺文書目録』箱No.県-〇六七
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 文書、書状
資料分類(大分類) 宝物
資料分類(中分類) 文書
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL
参照データ
関連ページURL 宝物作品解説
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料 『勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念』(勝興寺ほか 2005)
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名 『雲龍山勝興寺文書目録』(勝興寺文化財保存・活用事業団 2012)
デジタル化の経緯に関する注記
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