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目録ID mp000930-200010
文書名 中川宗半寄進状
文書名(カナ) なかがわそうはんきしんじょう
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所 まつ
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 慶長一六年五月二五日
作成年終
数量 1点
形状 掛幅
寸法
寸法(縦) 32.2cm
寸法(横) 48.2cm
材質
形態に関する注記 掛幅装
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 中川宗半(1562~1614)は、本名光重、通称清六。(巨海斎)宗半を号していた。信長家臣であったが、前田利家の娘・蕭姫を妻として利家に仕えた。相当知られた茶人だったらしく、一時は豊臣秀吉の御伽衆に加わったこともある。譴責を受けたこともあったが、利家配下に戻って増山城(砺波市)を守った。しかし、文禄2年(1593)当時は増山城を妻の蕭姫が預かっているなど(『砺波市史』資料編1)、不明な点が多い。 この寄進状には異筆で慶長16年(1611)と年記があり、退老して後に宗半と号した中川光重が記したものであることがわかる。しかし宛名の「まつ」とは誰であろうか。宗半周辺の「まつ」という女性にはまだ江戸から帰国していない利家夫人の芳春院があるが、そうしてよいだろうか。出家を遂げた最晩年とはいえ、姑にあたる人を実名だけで記したかどうか、疑問は残る。また合力として寄進される300石は実に大きなものである。仮に「まつ」の化粧料だとするならば、その寄進状が何故勝興寺に伝わったのかがわからない。あるいは「まつ」は勝興寺周辺にいる別の有力女性なのであろうか。そうした点も不明である。(久保尚文)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 勝興寺
原資料の所在地 勝興寺
資料番号 『勝興寺宝物展』図録番号:93、『勝興寺文書目録』箱No.県-〇七〇
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 文書
資料分類(大分類) 宝物
資料分類(中分類) 文書
資料分類(小分類)
文化財情報 富山県指定文化財
manifest.jsonへのURL
参照データ
関連ページURL 宝物作品解説
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料 『勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念』(勝興寺ほか 2005)
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名 『雲龍山勝興寺文書目録』(勝興寺文化財保存・活用事業団 2012)
デジタル化の経緯に関する注記
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