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目録ID mp000960-200010
文書名 勝興寺勧進に付本願寺良如消息
文書名(カナ) しょうこうじかんじんにつきほんがんじりょうにょしょうそく
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 良如
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所 越中国一家衆中・坊主衆中・門徒衆中
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 七月二八日
作成年終
数量 1点
形状 巻子
寸法
寸法(縦) 17.5cm
寸法(横) 65.0cm
材質
形態に関する注記 巻子装
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 良如(1612~62)は、本願寺の第13世。父・准如時代の元和3年(1617)12月20日の出火によって西本願寺諸堂は焼亡した。再建事業は准如の代より始められ、阿弥陀堂は完成したが、御影堂再建は成らなかった。良如は寛永10年(1633)よりそれに取り組み、同13年(1636)に上棟、正保2年(1645)に外陣までを完成させた。 一方勝興寺は、寛永19年(1642)に本堂が大破したため、加賀藩前藩主・前田利常(1593~1658)からの寄進を得て再建に着手し、加越能三州での勧進許可をうけて作事を進めた。こうした経過からみて、勝興寺の再建事業は本願寺御影堂再建と並行して行われたために、門徒らに大きな負担をかけることとなった。越中一国門徒への勧進御免の本史料はそうした状況を踏まえて書かれている。正保4年(1647)には高岡町奉行・伊藤内膳が領内諸宗檀越による助成を指示しているが、良如の勧進許可はむしろそれに先立つ正保初年の、本願寺方による勝興寺再建についての取り組みを示していると思われる。(久保尚文)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 勝興寺
原資料の所在地 勝興寺
資料番号 『勝興寺宝物展』図録番号:96、『勝興寺文書目録』箱No.一二-〇三二
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 文書
資料分類(大分類) 宝物
資料分類(中分類) 文書
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL
参照データ
関連ページURL 宝物作品解説
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料 『勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念』(勝興寺ほか 2005)
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名 『雲龍山勝興寺文書目録』(勝興寺文化財保存・活用事業団 2012)
デジタル化の経緯に関する注記
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