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解題・説明
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本坊とは、式台や大広間、書院、寺務所、台所などを含む広大な空間で、本堂から雁行するように続いている。それぞれの部屋には、襖絵や壁貼付の絵があり、部屋の名称にもなっている。金箔を貼った部屋は「金の間」、襖絵に松の大樹が描かれた部屋は「松の間」、草花や小鳥が描かれた部屋は「花鳥の間」と呼ばれる。 また、襖絵や壁貼付ほど大きなものではないが、通路の境に嵌められ、存在感のある杉戸絵も存する。御内仏と呼ばれる持仏堂の周辺に所在し、三面現存している。 その内の一面は極めて写実的に描かれた植物図である。片面に菊、背面に緋桐が描かれている。このI面のみは現在の通路に嵌められている。精密な描き方をみると、本草学が盛んになる江戸時代後期以降の制作とみられる。 緋桐は、赤い花が美しい落葉低木で、葉が桐に似ているために、その名がある。唐桐とも呼ばれる。インド原産で、中国南部でも自生する。日本には、延宝年間(一六七三~八一)頃に渡来し、観賞用として栽培されるようになった。貝原益軒の「大和本草」(一七〇六年刊行)にも登場する。 富山藩においては、第十代藩主・前田利保(一七九九~一八九九)が、本草学に詳しく、御抱絵師に美しい植物図鑑「本草通串証図」(富山県立図書館蔵)を描かせたことが有名だが、加賀藩においては、さかのぼって第五代藩主・前田綱紀(一六四三~一七二四)に仕えた本草学者・稲生若水(一六五五~一七一五)などの俊英がいた。稲生の『庶物類纂』六三八巻は、『本草網目』や『大和本草』を遥かに凌ぐ水準の博物学であった。病没の後には、弟子・丹羽正伯(一七〇〇~五二)が完成させて、加賀藩を通して幕府に献納したものである。こうした学問的な気運を前史背景として、描れたものだろうか。(引用:「重要文化財勝興寺本堂落慶記念 勝興寺宝物展」)
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