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目録ID mp300094-200030
文書名 前田利光寺領寄進状
文書名(カナ) まえだとしみつじりょうきしんじょう
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所 勝興寺
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 元和四年一二月二一日
作成年終
数量 1点
形状 書状
寸法
寸法(縦) 57.5cm
寸法(横) 22.0cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 前田家第3代当主・前田利光(1593~1658)は、寛永6年(1629)4月に利常と改名する。徳川秀忠の娘・珠(たま)姫(天徳院)を妻とし、徳川将軍家との結びつきを重視し、自重を旨とする中で、加賀藩の初期藩政を運営し、改作法などを進めて藩政の基盤を整えた。領内寺社への寄進高整備もその施政の一環である。寺領75石の安堵は、後年正保4年(1647)にさらに125石を加増して、都合200石を勝興寺領としたことを含めて、利常の勝興寺への力添えは破格のものであったといえる。なお「雲竜山勝興寺系譜」には、寛永19年(1642)に本堂等が破損した際に、利常より黄金並びに立山材木の寄付のあったことが記されている。(久保尚文)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 勝興寺
原資料の所在地 勝興寺
資料番号 『勝興寺文書目録』箱No.県-〇九四
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 文書、書状
資料分類(大分類) 文書目録
資料分類(中分類) 〇 富山県指定文化財 勝興寺文書
資料分類(小分類) No.〇〇〇 県指定文化財-九四
文化財情報 富山県指定文化財
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参照データ
関連ページURL 宝物作品解説
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自治体史掲載
出版物・関連資料 『勝興寺宝物展 重要文化財勝興寺本堂落慶記念』(勝興寺ほか 2005)
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名 『雲龍山勝興寺文書目録』(勝興寺文化財保存・活用事業団 2012)
デジタル化の経緯に関する注記
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