妙勝比丘尼真影(八代実玄室)(みょうしょうびくにしんえい) [目録を見る] [ 宝物解説へ ]
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勝興寺第8代住職・実玄(1486~1545)の室・妙勝の肖像である。法衣に袈裟と被り物を着け、両手で念珠を持って高麗縁の上に座す。本願寺第11世・顕如(1543~92)の花押のある裏書によって、天正2年(1574)6月26日、81歳で没したことがわかる。妙勝往生に関連する文書として、『雲龍山勝興寺古文書集』15の3月25日付勝興寺殿宛顕如消息があり、妙勝往生之志として銀子15両が上納されたことが述べられている。
妙勝は、本願寺第8世・蓮如(1415~99)の六男で、戦国期の本願寺教団の中心的存在であった河州顕証寺・兼誉(蓮淳/1464~1550)の娘である。蓮淳は、蓮如の死去の際、本願寺第9世・実如(1458~1525)とともに後事を託され、第10世・証如(1516~54)のもとでも、威勢をふるった。
妙勝は、蓮淳の娘であり、本願寺門主である証如の母・慶善院の姉という立場から、夫の没後30年にわたり、次代住職、次々代住職を後見して、勝興寺の威勢を増し、本願寺においても重きをなした。江戸時代に加賀藩主・前田家や、鷹司家と姻戚関係を持つ大寺院として推移するのも、天文年間からの本願寺との密接な関係に由来するところが大きい。
また、『富山県史』通史編Ⅱ805頁には、実如上人中陰の法要に、光教寺一族として法要を務める実玄と、顕証寺一族として出席する妙勝の立場が述べられている。16世紀初頭には、必ずしも単婚小家族の夫婦として同じ立場をとるわけではなく、妻の側が実家の立場でふるまうことがあったことを知らしめてくれる点で興味深い。
(高田克宏)
【参考文献】『釈尊と親鸞 親鸞編 第4期出品 解説』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成24年(2012)