唐草葵紋蒔絵煙管(からくさあおいもんまきえきせる)
[目録を見る] [ 宝物解説へ ] 煙草吸飲は、わが国には南蛮交易船により近世初頭に伝えられたという。喫煙は江戸時代の初期には禁止されたが、後期には大名貴族から庶民にまで流行し、やがて煙管や煙草盆などの喫煙具に美術工芸的価値を求める風が起こり、大名婚礼調度の一つに加えられるまでになった。大名調度の煙管は煙草盆と対になっているものもあるが、本資料のように煙管だけ別仕立てになっているものも少なくない。
本資料は木竹質の羅宇(らう)と吸い口、雁首などの金属部がなだらかに繋がる「石州(せきしゅう)形」で、羅宇は全体を黒漆地に金銀蒔絵の葵唐草模様で飾り、中央と両端部に比較的大きい金平蒔絵の円内葵紋を配している。雁首と吸い口は銀製である。
葵紋がつけられたこの煙管には、関白鷹司家の娘・広悟(?~1867)が勝興寺第20代住職・本成の室として入輿した際に徳川家から贈られたという伝承がある。