(二)勝興寺の什物

 什物(じゅうもつ)とは、『日本国語大辞典』によれば、①日常用いる器具・道具、②代々伝わった宝、秘蔵の宝物という。ここでは、県指定文化財を除く史料のうち、勝興寺の仏事に奉懸・拝読されたり、学事に用いられるなど、代々に伝えられた名号・法名・消息・読み縁起等を指す。什物のうち絵画である本願寺歴代影像等や勝興寺歴代住職・坊守似影は、『雲龍山勝興寺絵画目録』に収められた。本目録では、什物を名号等(分類記号一一一)、法名等(一一二)、経典・聖教(一一三)、消息・読み縁起等(一一四)の四分類とした。以下、各項目における特徴を略述しよう。(以下、( )内は各分類項目中の目録番号)
 各名号では、名号のほかに裏書・画讃写や宝物書上等も含む。名号は本願寺宗主染筆で、なかでも九代実如筆とされる六字名号(一一一-二〇)が特筆される。また勝興寺歴代の十九代法薫(一一一-二二二三)・二十三代広輝(一一一-三)・二十五代瑞映(一一一-二五・二十六代准性(一一一-二六)等の名号がある。このうち広輝・法薫筆の名号等は門徒に授与するために予め切絹・切紙に書かれたもので、同寺の中本山としての性格を示している。裏書写では、慶長十三年(一六〇八)九月十六日に本願寺十二代准如が同寺十一代顕称に授与した、本願寺十一代顕如影像裏書写(一一一-二)は、本影像・裏書が現在せず、写しながら貴重である。
 法名等は主に本坊及び石動通坊で永代経て奉懸された法名記入軸である。近代以降、永代経志が同寺にとって重要な懇志であったことを物語る。紙本に墨書した法名を列記した掛軸で、新写以外の大半は劣化が著しい。
 経典・聖教では、宝徳元年(一四四九)十月十四日に本願寺八代蓮如が加賀国河崎真光に写与した旨の識語をもつ御伝抄の写本(一一三-二、図版②)が注目される。また本願寺九代実如が写与した御文(一一三-四)も重要である。
 消息・読縁起等では、勝興寺の現本堂再建と成就についての消息が特筆される。安永四年(一七七五)初秋下旬に本願寺十七代法如(一一四-三)、寛政八年(一七九六)七月二十七日に同十八代文如(一一四-四)が授与している。当寺の住持十九代法薫は法如の子息で、還俗して加賀藩十一代藩主前田治脩となった十八代法暢の後継として入寺していた。藩主および宗主子息の相次ぐ入寺によって同寺の地位の向上を果たし、巨大本堂の建立へと進む。消息の発給はこの動きを確認するものであろう。
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