勝興寺文書はすでに富山県指定文化財に指定されている一八〇点の文書の存在が周知されており、そのうち一六一点が近世文書であるが、この度の古文書調査によって新たに四〇〇〇点を超える文書が確認された。それらのうち約二〇〇〇点が近世文書であり、それらの近世文書を内容別に「国法・加賀藩」、「寺法・本願寺」、「勝興寺」、「学芸」に大別し、その上で以下のように分類した。なお古文書の伝存状況により同一の目録番号のなかに複数の文書が存するものや、枝番を付して整理したものもあり、実際の点数と目録番号(件数)は必ずしも一致しないことをお断りしておく。
「国法・加賀藩」は、主として加賀藩関係の文書を分類した。二一一藩主(三六件)、二一二寺社奉行(一〇件)、二一三藩士(二七件)、二一四国法/加賀藩一般(八三件)。国法関係は計一五六件である。
「寺法・本願寺」は、主として本山関係の文書を分類した。二二一宗主(四〇件)、二二二坊官(六四件)、二二三末寺・触下(二二七件)、二二四門徒(一七件)、二二五寺法/本願寺一般(六〇件)。寺法関係は計三〇八件である。
「勝興寺」は、主として勝興寺に関する寺内および私的な文書を分類した。二三一由緒(一六件)、二三二勝興寺歴代・寺族(四四件)、二三三光徳寺・本向寺(二三一件)、二三四寺中・寺侍(二六件)、二三五門徒(四八件)、二三六法要・行事(一一一件)、二三七造営(六九件)、二三八勝興寺一般(五五四件)。勝興寺関係は計一〇九三件である。
「学芸」は、主として勝興寺関係の文芸活動に関する文書を分類した。二四一勝興寺歴代・寺族(一八件)、二四二公家(六〇件)、二四四前田土佐守家(四〇件)、二四五学芸一般(二九四件)。学芸関係は計四一二件であった。以上、近世文書は目録番号件数で一九六九件を数えた。
これらの近世文書のなかで、今回初めて確認された「前田利常書状」(二一一-一、図版④)は年未詳であるが、贈り物への謝辞と越中へ鷹野に出かけることを報じている。発給者名が「中納言」とあり、利常が中納言に任官する寛永三年(一六二六)を上限とする。宛所は不分明だが、勝興寺第十四世光昌院良昌室の鶴(廉正院広喜、前田利常養女)に充てられたものとみられる。享保十年(一七二五)十一月十九日の中御門天皇宣旨・中御門天皇口宣案(二三二-一・二、図版⑧)は、勝興寺第十七世広開院住諦(澄元)が権律師法橋に叙せられたことを示す。
なお今度の調査は、勝興寺の伽藍修復事業が契機となって始まったところから、当初より造営関係の文書の確認と、建造物修復過程で大量に出た襖の下張りなどの廃棄文書の扱いが課題となった。襖の下張り文書は、整理・分類不能な塵芥状態のものが多かったが、ある程度内容の判別できるものは「断簡」として整理したものもあり、これらは「造営」に分類した。しかしそうした中で今回新たに確認された寛政十年(一七九八)四月の「古国府勝光〔興〕寺鼓楼堂三十歩之一割」(二三七-五、図版⑪)は、現存する勝興寺の建造物の絵図として貴重である。
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