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解題・説明
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總持寺二代峨山禅師は、貞治五年(正平二十一年、一三六六)十月二十日の亥刻(二十一~二十三時頃)に示寂した。遺偈も現存している(總持寺文書)。 峨山の喪儀は同月二十二日に始まり、二十八日に最後の儀式として、峨山禅師の遺物と旧蔵者の伝記をまとめる「抄劄式(しょうさつしき・しょうとうしき)」が行われた。本文書は、法嗣などの計十八人に対する遺物の分配先を記したもので、伝記部分は別に伝えられる(大慈寺〈熊本県熊本市〉文書)。その次第を実峰良秀(一三一八~一四〇五)ら三名が記録し、通幻寂霊(一三二二~一三九一)ら知事・頭首の代表者五名と、喪主の太源宗真(?~一三七〇)が署名して確認している。 流布本『洞谷記』「住持遺物商量等事」には、住持の遺物を三分割して、寺の常住物、喪儀の儀礼に対する布施、大衆への布施として分配すべき旨を記している。ここでは、分配者の多くが喪儀の配役を務めているため、それに対する布施であろう。分配を受けた者には、法嗣や尼僧などの出家者に留まらず、在家信者の「義印居士」(長秀信)も含まれることが特徴である。本文書に記される人物の詳細は、「峨山法嗣目録」(總持寺文書)等も参照されたい。
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