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資料名 定賢寺領敷地寄進状
資料名(カナ)
資料名(ローマ字)
資料名関連
資料名関連(カナ)
資料名関連(ローマ字)
欧文資料名
資料名に関する注記
差出人
差出人(カナ)
差出人(ローマ字)
受取人
受取人(カナ)
受取人(ローマ字)
製作者
製作者(カナ)
製作者(ローマ字)
時代 元亨元年
時代終
員数 1幅
形状
大きさ
大きさ(縦) 29.5cm
大きさ(横) 47.2cm
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記 紙本墨書
保存状況
収録時間
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 文書・記録
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
解題・説明     總持寺は、元亨元年に諸岳寺観音堂院主の定賢権律師がその寺領や敷地を瑩山紹瑾に寄進し、禅院に改めたことに始まる。その由来については『観音堂縁起』(重要文化財・瑩山紹瑾筆)に詳しく書かれており、この寄進状は宛所を欠くが、瑩山に宛てたものであろう。定賢は寄進した観音堂の寺領・敷地の境界を明示しており、その寺地境は、東は火尾、南は厨谷向谷、西は長峯、北は荒志の横道、それぞれを限るとあって、ここが總持寺の境内地となったことがわかる。その後、定賢は、嘉暦四年(一三二九)、總持寺二世峨山詔碩に対し、諸岳寺の田畠を寄進している。副えられた坪付がないので、どの程度の田畠であったか明らかではないが、初期總持寺の経済的基盤の一つであったと考えられる。観音堂縁起とともに總持寺の成立の基礎を知る資料である。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 曹洞宗大本山總持寺
原資料の所在地
分類番号 図録-17
箱番号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL https://adeac.jp/viewitem/sojiji/viewer/iiif/z-17/manifest.json
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自治体史掲載
出版物・関連資料 『禅の心とかたち―總持寺の至宝―』p52~53
『總持寺名宝一〇〇選』p58~59
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY-NC-ND(表示-非営利-改変禁止)
原資料の利用条件
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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