解題・説明
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本写本には、正徳4年(1714)に松山寺9世の経山海典が撰述した奥書が残されており、この奥書から書写者が松山寺開山の融山泉祝であったことが知られ、書写が行われた期間についても、松山寺開創から融山の示寂に至る間と比定し得る。本写本は1丁ごとに生成り料紙と装飾料紙が交互に用いられているが、これは数ある『伝光録』写本のうち、松山寺本のみに見られる特色である。『伝光録』は全5冊で書写される写本が多いが、本写本は2冊によって構成されており、松山寺本と同じ本文系統に属する写本は、2冊または4冊構成の写本が多くなっている。松山寺の本文には、乾坤院本に見られる道元禅師章の錯簡を修正しようと試みた痕跡が見出され、ここから乾坤院本と非常に近い本文系統に属することが知られる。また、乾坤院本とは異なる本文系統の写本と校合を行った形跡も見出され、『伝光録』の本文成立過程を考察するうえで、きわめて貴重な情報を提供してくれる。松山寺本全文の影印として、鶴見大学仏教文化研究所編『太祖瑩山禅師七〇〇回大遠忌記念 松山寺所蔵『伝光録』影印』(鶴見大学、2024年)がある。
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