解題・説明
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本写本は全4冊であったと推定されるが、現在第1冊を欠く端本である。奥書から、智賢なる僧侶が金剛山峰山寺(長野県伊那市高遠町)において書写した写本であることが知られるが、その後、いかなる経緯を経て可睡斎に所蔵されるようになったのかは不明である。本写本の本文は、安政4年(1857)に仏洲仙英が開版した『伝光録』版本の本文と共通する点が多いことが報告されている。ただし、仙英の版本と異なる点も数多く見出されるため、両者にはそれなりの距離があると見るべきであろう。また、18世紀以降に書写が行われた『伝光録』写本は、錯簡がすべて修正される傾向にあるものの、本写本では婆須盤頭章と摩拏羅章の錯簡が修正されていない。本写本の成立過程については不明点が多く、今後の研究が俟たれる。
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