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タイトル 吉澤桜島碑記
タイトル(カナ) ヨシザワサクラジマヒキ
タイトル(ローマ字)
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タイトル関連(カナ)
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作成者
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発売・製作者
発売・製作者(カナ)
発売・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量 1基
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言語 日本語
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内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 同碑記は、文化13(1816)年、津藩主藤堂高兌による農地開発の一環として、津藩郡奉行吉田重麗が行った玉垣村の灌漑・開墾の経緯と様子を詳述した石碑である。
 碑記の本文は、縦27文字、横13行(内11字空)の計340文字が陰刻される。選者でもある吉田重麗は、漢学や儒学を津坂東陽に学び、藩主藤堂高兌の知遇を受け、藩政の改革に幾多の功績を残している。書は幕末の三筆の一人である市河米庵、石刻は江戸後期に活躍した名工、広瀬群鶴である。
 桜島の地名は、開墾によりため池を改修した折に、その池中の島に200株の桜を植樹し、その島を「桜島」と命名したことに由来し、その景観は文人らに愛されたといわれている。同碑は、桜島に建てられていたが、近代になって玉垣小学校内に移設、その後、昭和初期に桜島に戻されるが、昭和50年代後半の公園整備による池の埋め立てにより、現在地に移された。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 彌都加伎神社
原資料の所在地 玉垣地区、桜島町一丁目
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 立体物
資料種別
資料分類(大分類) 古文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 市指定文化財 歴史資料(指定年月日:平成28年4月26日(2016年))
IIIFマニフェストURL https://adeac.jp/viewitem/suzukabunkazai/viewer/iiif/view007078/manifest.json
参照データ
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自治体史掲載
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目録ID ct007078
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