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タイトル 神戸城跡
タイトル(カナ) カンベジョウアト
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解題・説明 南北朝時代、神戸氏は西条の南にある沢城を本拠としたが、4代具盛<とももり>の天文年中(1550年前後)神戸に築城して移ったと言われる。一説には6代利盛の弘治元年(1555)ともいう。いずれにせよ、神戸城への移転は1550年代初めである。当時の規模は分からないが、天守台のある土塁でかこまれた区域が本丸であったと思われる。その後、織田信長の三男信孝<のぶたか>が神戸家の養子となり、天正8年(1580)ここに五重の天守閣を築き、北勢地方に威風を誇った。
 しかし、天守閣は、信孝没後の文禄4年(1595)秀吉によって解体され、桑名城に移された。この地にあることわずか15年、あとは石垣だけが残り、当時の面影をとどめている。付近から金箔塗りの軒平瓦が出土し、安土・桃山時代の豪華の風がしのばれる。石垣は野面積<のづらづ>みという方法で積まれている。石材が不足したのか、墓石、灯籠石が混じり、中には「文永8年(1271)」の年号が入った格狭間<こうざま>や「明本・癸亥」とある光明真言碑の一部がある。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 鈴鹿市
原資料の所在地 神戸地区、神戸五丁目
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 遺跡
資料種別
資料分類(大分類) 記念物
資料分類(中分類) 史跡
資料分類(小分類)
文化財情報 県指定史跡(指定年月日:昭和12年12月14日(1937年))
IIIFマニフェストURL https://adeac.jp/viewitem/suzukabunkazai/viewer/iiif/view007086/manifest.json
参照データ
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自治体史掲載
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デジタル化の経緯に関する注記
目録ID ct007086
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