平和産業都市への転換

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 昭和20(1945)年8月、アジア・太平洋戦争の終戦により、「軍都」鈴鹿市の歴史は3年足らず終えた。そして、鈴鹿市域の旧陸海軍関連施設は、「軍事」から「平和産業」への転換が図られた。

 鈴鹿市は、旧陸海軍関連施設の・転換・転用・利用に関して、以下のような方針を示した。


表1 鈴鹿市域の旧陸海軍関連施設の転換・転用・利用に関する方針


鈴鹿市教育委員会・鈴鹿市旧軍施設調査研究会編『鈴鹿市のあゆみ - 軍都から平和都市へ』2002年

 戦後の経済不況の影響で、転用許可企業のなかには進出を中止・撤退するものもあり、方針通りに進出し成果を挙げた企業は少なかった。しかし、「平和産業」への転換は、軍需工場に徴用された労働者や被災者の雇用対策ともなった。鈴鹿市は、終戦直後の商工状況について、希望的観測を交えつつ次のように記している。

 市内商工業者ハ企業整備ニテ之等各軍需工場ニ徴用工員トシテ応召セシガ、終戦ニ伴ヒ一時ハ失業者多ク非常ニ困惑セシモ現在ハ戦前ノ各職業ニ転職シ、又市内下請工場ハ夫々平和産業ニ転換セル為、工員モソノ方面ニ吸収セラレ、現在失業者モ追々減少シ当市商工業ノ前途ニ曙光ヲ認メタリ(昭和18年~21年『引継書類綴』)。

鈴鹿市の工業はその後、昭和25年6月に勃発した朝鮮戦争に起因する国内経済の回復により発展のきざしをみせた。11月、鈴鹿市は全国にさきがけて「鈴鹿市工場設置奨励条例」を制定し、進出する企業に対して用地の確保・市税の免除などの特典を与えて工場誘致に取り組んだ。この結果、呉羽紡績(のち東洋紡)、大東紡織、旭ダウ(のち旭化成)、倉毛紡績(のち鐘紡)などの繊維工業を中心とする大企業の進出があいつぎ、平和産業都市鈴鹿市の礎が築かれていく。