(2) 工作機械の不足、人員の問題

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 消耗兵器である機銃弾薬包の多量生産において特に重要となってくるのが工作機械類の配置である。しかし、齋尾工廠長は回想において、工廠運営上困難であった点の一つに「機械の不足」を挙げている(注記34)。その状況を詳しく物語る資料として「齋尾慶勝資料」(鳥取県立公文書館蔵)のなかに「鈴鹿海軍工廠火工部機械打合覚」がある(全文は資料編に掲載)(注記35)。同資料によれば、昭和19年8月14日、艦政本部第一部長室(東京)において艦本一部第二課長・松尾実大佐、三井再男大佐、造兵監督官・市川倫作技師、鈴鹿工廠火工部長・黒田麗少将出席のもと、鈴鹿工廠火工部の工作機械に関する打合せが行われた。打合せ事項は、爆弾信管製造用機械、二式十三粍弾丸・信管用機械、工具製造用機械、七・九粍横廠施設移転、電働機の5項目ほか火工部要員の問題にも及んだ。

 鈴鹿工廠火工部への工作機械納入状況は、爆弾信管製造用機械で必要数の12%、二式十三粍弾丸・信管用機械では25%、工具製造用機械も要求数の15%のみで、当初予定と比べ、著しい遅配状況にあった。爆弾信管用製造機械については、「十九年度工事遂行ノ為至急入手ヲ要ス」とし、二式十三粍弾丸・信管用機械では「此ノ際至急旋盤其他一〇七台ヲ入手セザレバ本年度工事完遂ニ支障アリ」など、危機感を込めて工作機械配給状況の改善を艦政本部側に求めている。果たしてその回答は、「出来得ル限リノ機械数」の豊川工廠からの移設、部外工場との調整など、根本解決策とは言えない窮余の策ばかりであった。僅かに納入済みの工作機械についても肝心の動力源抜きのものが多数を占めており、鈴鹿工廠は、「電働機」の「至急斡旋」を求めている。

 このほか、熟練工の転傭を念頭に置いた横須賀工廠の七・九粍機銃弾薬包製造施設の鈴鹿移転もかねてより検討されていたらしく、鈴鹿工廠はその実施を昭和19年10月以前に前倒しにするよう要請している。また、作業要員についても「九月以降極端ナル人員不足ニ当面スルコトヲ予期セラル」として、中央関係部局への強力な申し入れを艦政本部に依頼していた。開庁当初、徴用工員の補充で補っていた作業人員も、戦地に送られる招集者の増加によって、技術者、熟練工、労務者が不足し、労働力は、動員学徒と高年齢の作業人員に二極化していたのである。

 このような人員の問題、工作機械の不足は、火工部だけでなく、機銃部も含む鈴鹿工廠全体が抱えた共通の問題であったと思われる。