(2) 人口推移と市域拡大

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 鈴鹿市誕生の昭和17年12月の人口は52,370人(男27,213人、女25,157人)であった。その後の人口増加の状況は別表のとおりで、平成24年(2012)9月の人口は202,353人(男101,191人、女101,162人)とある。なお、この別表の数値は平成22年までは『三重県統計書』を典拠とし、平成24年9月は鈴鹿市役所HPの人口統計である。そのHPの数値は平成17・22年など『三重県統計書』と多少異なるが、HPの統計によれば平成18年4月に鈴鹿市在住の外国人の数を含め200,000人を突破し、最多の人口数値は同21年1月の205,197人であった。現在は人口がいささか減少気味であり、年月が随分経過しているものの、鈴鹿市誕生当時に新聞に報じられた「廿万」が実現されたことに間違いない。そこで、別表により鈴鹿市の人口増加の状況を見てみよう。

 まず、人口増を5年間ごとに見た場合、昭和17~22年の15,273人が増加しており、終戦直後の軍人・軍属の復員・引揚げや都市部からの帰省・疎開などの要因があると思われるが、その実態解明は今後の課題である。昭和25年以降では25~30年11,986人、30~35年9,758人、35~40年10,095人、40~45年20,591人、45~50年20,644人、50~55年14,421人が増加し、55年は総人口156,250人で鈴鹿市誕生当時のほぼ3倍になった。

 ただ、この間には隣接市町村との合併・編入なども見られ、それに伴う人口増加もあったので、鈴鹿市誕生後の市域拡大にも触れておきたい。特に昭和28年10月1日施行の町村合併促進法と同31年6月30日施行の新市町村建設促進法による合併は「昭和の大合併」と言われ、全国的に大規模な合併が行われた。鈴鹿市では、29年8月1日に河芸郡合川・天名・栄村の3村が鈴鹿市に編入され、その3村の総人口は8,107人であった(『昭和28~30年 町村編入合併関係書類 天名・合川・栄村』)。また、同年12月1日には亀山市の小田・和泉・西富田・中冨町が編入された。この4町はかつて鈴鹿郡井田川村に属し、同年10月1日にいったん亀山市となり、2か月で分離し鈴鹿市に編入された。なお、井田川村の鈴鹿市との合併問題は昭和19年3月にもあり、鈴鹿市会が「国家的重要諸機関ノ拡充ニ伴ヒ市勢頓ニ躍進シ都市計画ノ進捗ト相俟テ密接不離ノ関係ニアル鈴鹿郡井田川村ト合体スル」との「意見書」を議決して内務大臣と三重県知事に提出していた(『昭和17~19年 市制施行に伴う町村合併関係書』)。その時は実現しなかったが、10年後になっても4町は鈴鹿市編入を強く要望していたようである。4町の総人口は1,685人で(『昭和29~31年 町村編入合併関係書類 井田川村』)、前記の3村の人口との合計が9,972人となり、これを差し引くと25~30年の人口増加数は2,014人で、さほど多くない。

 次に昭和30~35年の間の市域拡大は鈴鹿郡三鈴村と鈴峰村の一部編入で、かなり複雑な経緯が見られた。31年9月30日に久間田村と椿村が合併して三鈴村が成立したものの、翌年4月15日に廃止され、鈴鹿市と四日市市に分割された。鈴鹿市に編入されたのは大字下久保・岸田・大野・山本・小岐須・小社の区域で、その人口は4,871人であった(『昭和31~32年 同前 三鈴村』)。ところが、2か月後の6月15日に小岐須・小社の区域が鈴峰村に編入され、鈴峰村から大字深溝・三畑・追分の区域が鈴鹿市に編入した。その人口は前者の2区域が1,093人、後者の3区域が1,805人で、差引712人が鈴鹿市に増えたことになる。すなわち、30~35年の人口増9,758人のうち市域拡大によるものが5,583人で、残る4,175人が鈴鹿市の工業発展などに伴う人口増と考えられ、25~30年の2倍以上の増加となった。そして、昭和42年4月1日には鈴峰村が鈴鹿市に編入され、5,994人の人口増があり(『昭和40~41年度 同前 鈴峰村4』)、40~45年の人口増加20,591人はこれを含んでいる。以上が鈴鹿市70年の中での市域拡大で、42年以降の町村合併・編入はない。

 こうした市域拡大に伴う人口増を除いても、昭和35年以降は鈴鹿市の人口が急速に増大していった。ちょうど経済の高度成長期に当たり、前述のように45~50年の5年間が最多の人口増を見た。鈴鹿市の工業発展の極みがこの時期にあったからだと思われ、48年の第1次オイルショック以後は人口増加数が減った。51~55年の14,421人を最後に5年間の人口増加が10,000人を割り、56~平成22年の5年間ごとの人口増加数は平均7,174人となった。

 また、男性・女性の人口数を比較すると、昭和22年以降40年までは女性人口が男性をより多く、45年になって男性人口が女性を超える。これは繊維工業から男性を多く必要とした車両・機械の製造業などの重工業に中心が移ったことをうかがわせる。


鈴鹿市の人口と製造業・農業就業者数の推移