就業者数とその割合は、地域の産業状況を知る一つの指標である。別表では鈴鹿市の製造業就業者数を掲げ、農業就業者数との比較や全体就業者数での割合を追ってみた。昭和25年には農業就業者が全就業者数の半数以上を占める中で、製造業就業者はわずか3,651人、全体就業者数の12.8%であった。それが40年には農業就業者を超えて17,659人、33.3%となり、その後も増加して平成2年が最多の35,219人に達する。ただ、全就業者に対する割合の高いのは50年で、39.4%を示す。ちなみに、50年の津市の製造業就業者割合は22.2%、四日市市は36.2%で、鈴鹿市の製造業就業者の割合は県内で最高である。鈴鹿市の産業では工業が最も大きな比重を占めており、今も就業者割合は減少しているが、それに変わりはない。
昭和51年の従業者規模別事業所統計によれば、鈴鹿市内では1~3人の事業所が440か所、4~9人269か所、10~19人90か所、20~29人35か所、30~49人32か所、50~99人14か所、100~199人17か所、200~299人4か所、300人以上8か所の合計909か所があった。そのうち、300人以上の大規模事業所で従業者11,546人を抱えており、市内製造業従業者総数の53.5%に及んだ。さらに、製造品出荷額では、市内総出荷額約4,700億円のうち従業者300人以上の事業所の出荷額が約74%の3,500億円もあった。なお、四日市市の製造品出荷額総額は約1兆900億円と県内の約36%に達し、鈴鹿市はそれに次ぐ約16%の割合で、津市の2倍以上あった(『昭和51年三重県統計書』)。
このように昭和51年時点では四日市市と鈴鹿市2市の製造品出荷額が県全体内の半分以上を占めていたが、平成19年には状況が多少変化した。平成19年の従業者4人以上の事業所統計によれば、四日市市の製造品出荷額が県全体の23.1%、鈴鹿市が17.5%となっており、亀山市やいなべ市などの出荷額が増加したため、四日市市・鈴鹿市2市の合計額は県全体の半分を切った。鈴鹿市は四日市市に次ぐ製造品出荷額を保持し、その県内に占める割合はむしろ昭和51年よりも高くなった。中でも従業者300人以上の事業所・従業者数が四日市市で昭和51年の数値を大きく下回るのに対して、鈴鹿市は事業所数12か所、従業者数17,418人と昭和51年の数値を超えた。ただ、4人以上の事業所総数は353か所で、昭和51年の469か所よりも減少している(『平成22年刊三重県統計書』)。
この製造業就業者の推移と昭和51年・平成19年の事業所統計の比較でわかることを要約すると、鈴鹿市の工業は高度経済成長期に大きく発展し、以後も中小事業所などの減少はあったが、従業者300人以上の事業所では着実な伸びを示してきたと言えそうである。