はじめに

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 鈴鹿市は、昭和17(1942)年12月1日、鈴鹿郡・河芸郡の2町12村が合併して誕生した。それに先立つ昭和13年には鈴鹿海軍航空隊が白子地区に開隊し、昭和18年には鈴鹿海軍工廠が牧田地区を中心に設立された。鈴鹿市誕生の背景には、これら当地域への軍事施設進出のための人的・物的需要を満たすことを目的に周辺町村の合併が行われた経緯があり、鈴鹿市は「軍都」として産声を上げたのである。そのため、鈴鹿市のあゆみと戦争、特に軍事施設との関わりは非常に強く、これをおいて当市の歴史を語ることはできない。

 平成24年、当市が市制施行70周年を迎えるにあたって本誌を刊行するのは、戦後67年を経過し、市制施行当時を知る人々―戦争と直接向き合い、復興の基礎を築きあげてきた人々―の直接の声を聞くことができる機会が、その高齢化に伴い確実に失われつつあるためである。海軍工廠をはじめとする軍事施設の進出および敗戦による撤退が市民生活に与えた影響の大きさは計り知れないが、その実態はほとんど伝わっておらず、個々の記憶の中にとどまっているにすぎない。市制施行70年を経た今、この事業機会を失えば、我々は彼らの記憶を記録としてとどめ、その情報資料を次世代へと受け継ぐ作業を行うことはほぼ不可能となるであろう。それは、鈴鹿市民一人ひとりがその時代への関心を広げる材料を失うことにつながり、大きな宝を失うことに他ならない。戦中・戦後の激動の時代に、どのような体験をし、この地域に何が起こり、何を見て、どう生きてきたのか。一人でも多くの方々から、その記憶を拾い上げ記録として保存することは、今しかできない不可欠な作業なのである。そして、戦争及びそこからの復興を直接知らない世代にとって、その記録は今後、鈴鹿の戦中・戦後を知る貴重な資料になることであろう。

 上記のような理由から、本報告書の作成事業はスタートした。その後、証言だけでなく、その証言を裏付ける資料(新聞や公文書、写真など)や、資料を活用した提言の必要性が検討され、寄稿編・証言編・資料編という3章構成の本書の刊行をみることになった。調査・編集期間が1年弱と言う非常に短い事業期間であったため、出来ることには限りがあり、本書においては資料性を重視し、なるべく多くの証言と資料を収載することに重きを置いた。以下に本事業の調査の概要について記したい。