今回の事業においては、まず75歳以上の市民から世代別に5000人を無作為に抽出し、アンケートを送付して回答を待った。アンケートは2部構成で、自由記述欄を含め回答項目も多く、内容も半世紀以上も前のことゆえ、回収率は1割か精々2割程度であろうと予想していた。鈴鹿市で実施するアンケート調査でも、通常はそのくらいの回収率だとも聞いた。ところが、送付後間もなく返送先の文化課には日々多数の回答が寄せられ、最終的に3割を越える分が送られてきた。なかには高齢や病気のため、あるいは内容的に該当しない(戦中・戦後に鈴鹿市に在住しなかった)ゆえに、項目ごとの返答がないものもあったが、2部構成の最後に至るまで、かつ自由回答欄にもびっしりと字が書き込まれたアンケートが多く、詳細な内容を記す「別紙」を付けられた方も少なからず居た。日付や場所を含め、細かな事実の記憶に驚嘆するとともに、改めて当時を生きた方々の人生に、戦中戦後の体験が刻みこんだ重さ、大きさ、強さを思い知ることとなった。
歴史的な事実は、第一義的には当時作成された文献資料等に基づき、実証的に確定されるべきものである。だが、聞き取りによって史実のディテールが解明されることもある。例えば、一時召集令状(赤紙)が「一銭五厘の赤紙」と呼ばれ、葉書で郵送されたという間違った話が世間に流布したことがあった(聞き取り証言でも記されているように、実際には役場の職員が直接届ける)。「赤紙」は召集された部隊に提出するために実物がほとんど現存しないのだが、文献が残りにくい領域では、間違いなく当時の関係者の証言こそが有益な資料となるだろう。
大戦から半世紀以上が過ぎた今となっては、当然に記憶が薄れたり、思い違いに基づく事実の誤認・誤解もあると思われる。だが、今回の聞き取り調査は、新たな史実を発掘したり、ことの経緯や実態を解明することを目的としてはいない。戦中・戦後に生きた人たちが、その当時にどのような思いや感情を抱いていたか、個別にいかなる「戦争経験」をしたのか、そして生涯のなかでこの時代はどれだけの意味を持っていたのか、そうした個人的な体験を聞かせて頂くことに重きを置いた。戦時のことを記憶に留める方々が高齢に差し掛かる現代において、文字資料には残りにくい生の声を、今のうちに記録しておくことが大事だと考えた。
戦時を体験した市井の人びとは、今を生きる私たちとかけ離れた存在ではない。ごく普通の生活を送っていた住民に、等しく戦争状況は降り掛かってきた。現代の社会において、戦争勃発の危機が叫ばれることがあっても、今想定される戦争は、戦術や兵器などの点では先の大戦とは随分違うものであろう。戦争によって一般市民がどのような影響を蒙るのかという具体的なイメージも、持ちにくくなってきている。だからこそ、当時の人びとの感情や感覚を、実感をもってどれだけ共有できるかは、軍事的な組織や制度に関する知識以上に、大事なのではなかろうか。
そのためにも、できるだけ当時の思いの総体を理解することに努めた。戦争の悲惨さ、悲しさ、苦しさを強調するだけでは、「感情の共有」につながらない。厳しい状況のなかでも、ささやかな喜びや楽しみもあった。軍隊の横暴や戦時下の規律統制のなかでも、したたかに生き抜く個人も居た。過去の生活、思いの総体をできうる限り知ることが、私たちの想像力を高め、感情移入を容易にさせるのだと考える。
以下、聞き取り証言記録を適宜引用しつつ、「鈴鹿市民の戦中・戦後」の一端を紹介することとしたい。