結婚への思い
私は生まれは亀山の下之庄です。結婚は昭和25年や。兵隊の関係のある間は召集があるかもって心配でな、怖いで嫁さんもようもらわんかった。もし結婚してから戦争に行くことになったら、嫁さん置いて出てかんならんやろ。そういう人があるんやわ。嫁さんもろて、外地行って戦死して、残された嫁さんが弟の嫁さんになるの。それはようけあるな。嫁さんを追い出すわけにも行かんでな。そういうことが心配で、だから20年が済む(終戦になる)までは結婚できんだ。
陸軍記念日
3月15日かな、陸軍記念日に各中学校が寄っての演習があるわ。中学校同士で目的地を決めて、そこに朝の5時か6時頃に着くようにって出発するのや。夜から歩いて朝に着くように。行くときには、斥候が出るのや。敵(相手の中学校)は何しとるか、どういう状況でおるのか。畑や田んぼの中を通ってな、道は通らへんわ。中学校ではそういうことやってます。兵隊入ってもそんなようなもんやで。
教育召集
〔召集から配属〕
兵隊検査で私の場合は乙種。甲種やったら現役やけども、乙やったらすぐに行かんでもいいわ。ほんで、兵隊へ入ったんが昭和17年の4月やったかな。数えで22歳の時やな。いわゆる赤紙と白紙とあるわけです。赤紙は戦地へ行く臨時教育召集。白紙は教育召集。教育召集では、兵隊のこと知らんでな、始めはみな教育するわけや。その後、3か月で帰りたい者は帰ってもいいし、おりたい者はおってもいいし。もちろん試験があるかないか知らんけど。私は中学校の5年生を卒業して軍隊に入ったんやけども、3か月で一応終わって、家へ帰ったんです。中学校におるときに、将校が学校へ配属されてくるわ。すると将校が軍事教練を教えるわけ。そうやって兵隊のことは学校で習っておるもんで、軍隊入ってからは楽やったな。同じような事を兵隊でやるもんで。ただわからんかったのが、私の場合は機関砲中隊に配属になってな。班に1基か2基やったか記憶にないけど、機関砲がありまして、それを車の上に乗せて移動するわけやけども。機関銃やったらパンパンパンパンって飛んでいくやろ。砲はドンドンドンドンって音が違う。弾の直径は5センチくらいで、上向いても横向いても撃てる。そういう班に入りました。そやで小銃の方は学校で習ってわかっておるけれども、砲の方は全然初めてやでな。そんなものがあるっていうことも、兵隊へ入るまでは知らんだわけやな。
〔兵隊生活で〕
軍隊の人はほとんど小学校出や。中学校出たのはおそらくおらんかったんやろな。兵隊は中学校まで行ってなくて、小学校の高等科を出て入った人が多いの。字を上手く書く人がおらんだんやわ。そんで、軍隊へ入ったらいろんな字書かされるわな、その時に私は字が上手やったんやろな。松井軍曹っていうのがおって、松井軍曹も字が下手なの。ラブレターを3か月の教育召集の内に7,8回は書かされたな。松井軍曹がしゃべるのを書いとったの。宛先の女の人の名前は書いておらんもんで、誰に書いたんかわからん。その時は兵隊が嫌やでな、後で手紙のやり取りしよかっていう気も起こらんだけど、松井軍曹がいろいろ親切にしてくれたんでね。今になってみれば、松井軍曹と手紙のやり取りでもすれば良かったなと思ってます。仕事や訓練は加減してくれんけども、部屋へ入ってけば煙草くれるし、饅頭やらお菓子くれるし。お菓子は貰って、そこで食べるのはいいんやけども、部屋へ持って帰る事もできやんだの。部屋の中では山本兵長っていう人が隣の寝台におって、夜になると「宮村、これ食うか」っていろいろくれて。毛布かぶって隠れて食べたんや。「家帰りたいか、帰りたいやろのう」って気を遣ってもらって。そやで、自分も楽やったと思うの。
入った時にはな、下着は自分のやけども、服から靴から、上へ着る服は全部タダやわな。それでもらった革の編上げ靴が入りませんで。「靴に足合わせ」ってそんなんやでな。
〔演習〕
6月に10日間ほど松阪の南へ演習に行きました。そこでは楽しましたね。海のほうへ空砲を撃つの。演習に行くと、その土地の婦人会の人達が食事出してくれたり、いろんなことを世話してくれるんやわ。
演習で実弾も撃ったことある。久居の半田の南の半田山に射撃場があって、そこへ演習に行ってな。標的はな、畳の半分くらいの大きさやったかな。そこに丸が描いてあるんやけど、それを狙って撃つの。で、その的の前に土手が作ってあって、そこに点数を見る者が隠れとるの。1発ずつ撃つやろ、そうするとひっくり返るんや。それを見ると穴が開いとるんや。すると、裏に隠れとる人が10点とか書いてある旗をあげるんや。こっちから見て何点かわかる。そんなんしとった。下手なのか横着なのか知らんけど、山を越えて半田の集落へ弾を飛ばした者があるらしいわ。
在郷軍人会
軍隊出てきて民間へ入ると、在郷軍人会へ入らんならんの。それは一応、45歳くらいやったかな、兵隊に行かんならん期間があんの。それまでの間は年に1回か2回やったと思うけど、訓練があんのやわ。何回かやったな。その時には、竹槍担いで子供おんでる国防婦人会も出てきとった。することは違うけど一緒の所でな。近辺の在郷軍人会が集まってくるわけや。どういうことしたかな、歩調とって歩くのはもちろんあるけど。歩兵は1分間に114歩って決まっとる。誰かが「進め」って号令かけて、みんなが一斉に歩かんならん。訓練は終戦まではあったやろな。それともう1つ、在郷軍人会として毎月8日に神社に祈願しに行くの。他の職員は仕事しとるわけですけど。その時な、私は旗持ちしとったんや。
出征の時
ひょっとすると召集が来るかわからんな、と心配しながら私は国鉄で働いてました。働きながら、誰でもそうやと思うけど、赤紙が来やんか心配で。ところが20年4月、ついに赤紙が来た。入営隊先は舞鶴。「来やがった、とうとうおれの命、この世の見納めやわ」と思うわな。もう負け戦のときに行くんやでな。行ったら終わりやさ。でも舞鶴の身体検査ではねられてな。「ああ、よかったなあ」と思って。けども、後ろめたいっていう気持ちもあるわ。複雑やったなあ、あの時は。なんやら悪いことした気がしてな。こんな元陸軍二等兵だが現在92歳。どうにか元気?まだ生きとりますわ。
芋の買い出し
亀山市の下之庄っていうとこは「芋の庄」って言われておったんや。買い出しの人が下之庄の駅に集まってくんのや。大阪や京都が多いんやろな。下之庄の駅は小さいでな。調べられるのは米で、芋までは調べへん。亀山や津やらは、みな調べて取り上げられてくもんで、下之庄のほうがよかったんやわ。米なんかはわからんように腹へ巻いてくんや。下之庄の駅にも警察が来とるのは見たけどな。芋は見逃してくれる。私は仕事から下之庄へ帰ってきて電車降りる頃に、買い出しの人は乗るんや。私の家も農家で米や芋を作ってます。買い出しの人はようけおったもの。大概、買い出しに来る町の人は着物と交換やそんなんじゃなく、お金で買ってくれよったな。